たぶん、以前にもブログか何かで書いたことかもしれないけれど、


自分が子供のころに、幾度もプラモデルの箱絵にだまされたものだった。


子供のころといっても、幼稚園か、小学校の低学年くらいの、


かなり幼い時ではあるけれど、


当時は、まだ、模型屋さんには、うさんくさい、昔のプラモデルが、売り場に残っていて、


その頃の箱絵は、たとえば小松崎さんとか、ああ言った生粋の画家が、


臨場感あふれる絵で、箱絵を描いていて、


それに魅かれて、たとえば、サンダーバードとか、


三百円ばかりのパンサーとかの模型を買ったものだが、


いざ作り上げた時の、あまりのしょぼさに、ひどくかがっかりしたものだった。


当時の艦船や戦車や自動車のプラモデルは、動くことに主眼を置いていたものが多く、


また、三つ年上の兄みたいに、模型は動かなければ意味がないと思っている子供も多かったと思う。


自分は、どちらかというと、ビジュアルや精密さに魅かれていて、


モーターひとつのために、極端にデフォルメされ、簡略された、箱絵とは全然違う模型に、


納得のいかない何とも言えない気分を味わったものだった。


まぁ、どちらにしても、当時の箱絵は、


今のよりも、子供たちの想像を激しくかきたて、


少ないお小遣いを吐き出させるのに十分な、役割を果たしていたわけだ。


そういえば、以前にフライトジャケットのバックペイントを商売としてやっていたときに、それを、勧めてくれ


た初めてのお客さんも、やはり、幼少のころに、プラモデルの箱絵に魅かれていた方だったから、


そういった思い出に、共感してくれる人がいるかもしれない。


で、大人になって、絵を描くようになって、自分にはあまりメカニカルなものを描く資質が


乏しいのではないかと感じるようになったのだけれど、


それでも、子供のころに魅かれた箱絵のような絵を描いてみたいという欲求と、執着が、


なにかまとまった絵を描かなければならないときに、必ず自動車の絵を描かせる。


結構絵を描くひとたちには、それぞれ幼少のころからのこだわりのようなものが、あるのかもしれない。


上の絵は、スパル360、街中の駐車場でみつけたので、まだ現役で走っているのかと、ちょっと驚いて、


背景は別に、描いてみることにした。


ところで、唐突に話は変わるけれど、ちびっこ祭りのTシャツのイラスト、


あれは、どうみてもカツオさんの、杏果の類似デザインのように感じられる。


面識もなく繋がったこともなく、はたから作品を観て感心しているだけだけど、


常々作品をオープンにする姿勢や、謙虚さには、いち絵描きとしての、強いプライドが


感じられる方であり、ひどく共感している分、


ちょっと、複雑な気分になった。


まぁ、絵の世界には、ある次元まで来ると、


好きで描いているというだけ中に、面倒で、シビアで、あるいは不合理な相容れないものが入ってきて、


いろいろ、作家個人の感情の中に、思いもしなかった、葛藤や悩みを引き起こすようになっていくんだけれど、、、、、


まぁ、どんな世界でも、報われるべき人は報われるような世界になっていけば、


いいと思います。。



 作品を気に入ってもらえる、イコール縁みたいなもので、


あーだこーだいろいろ一回りしてしまえば、


うまいとかどうかなんて、ほとんど関係ないってことに落ち着く。(もちろん最低限の質はあるだろうけど)


自分がうまく描けたなって作品に限って、一番認めてほしいっていうひとからの反応は薄い。


これは、ちょっと古いけど、典型的なマーフィーの法則みたいなものだ。


それでも、食べていけている絵描きがいるわけで、


それは、(強力なコネクションやなんとか会に囲われていない限り)


作家本人の営業のたまものだ。


それでも、


自分の経験則に基づいた製作過程が読み取れない、


説明のしようがないオーラみたいなものを漂わせている、


作品が存在するのたしかで、


そうした作品を生み出す作家は、悪魔に魂を売ったか笑、天才と呼ぶべきでしょう。


世間には、いろんな世界に、小さな天才がいるみたいだ。


無感動な人間を、縁だからと言いきれないくらい感動させる人たち、


勇気をくれる人たち、


笑顔をくれる人たち・・・


はなしが、また脱線しそうなので、ここで終わりにします。


上の作品は、題名〝まんまる〟


世界は尖っているより、まんまるがよい。

 


ときどき、あまり知らない街をぶらぶら歩いているとき、、


〝the 昭和〟みたいな光景に迷い込みます。


あまりに低い軒の連なりとか驚いてみたり。


ああ、日本人ってこんなに小さかったんだなとか思ってみたり。


気がつけば、


自分が生きた時代は、昭和よりも、


平成のほうが多くなって、


自分が平成の人間なのか昭和の人間なのか、


微妙に分からなくなることがあります。


当然、多感な少年時代を送った昭和には、思い入れがあります。


一方で今を生きる平成は、あまり定まったイメージがありません。


携帯やインターネットはなかったけれど、80年代に少年時代を送ってきて、いまの若者たちのライフスタイルを比べてみると、


それほど、劇的に変わったとは思いません。


むしろ、あの昭和末期の、あのバブルの景色を、弾けたとはいえ、表面的に、いまだ引きずっているような印象を受けます。



とはいえ、自分が子供のころに、まだ、生活の中に残っていた、絵のような景色は、確実に失われているわけで、


そうした景色を、残したいという意識が、こういった絵を描かせているのかもしれません。



とかいって、好んで描いている自分にも分らないことですが笑



とりあえず、上の絵は、どうしても、錆びついたポンプが描きたくて、あんまり深い意味はないです笑