いつも気がつくと自分は何も考えずにアクセルを踏み続けている。



ところがふとした時にそのエンジンが止まってしまうことがある。そして自分がいかに無鉄砲に突撃し続けていて、色んなことを飲み込んでいたか気がつく。





そんな時はどうしても心の奥が縮こまりそうになるし、泣きたい気持ちになる。




ここから立ち直る術を、自分はまだ知らない。



体が大きくなっても、歳を重ねても、自分はまだ駄目なのだ。




鬼滅の刃の中で竈門炭治郎が発する「人は心が原動力だから」という言葉は強く刺さるものがあった。



昔からどこかにあった気持ちを彼が代弁してくれたのである。




ただ、そこでまた強く自覚してしまったことも事実なのである。




自分はまだ大人になりきれていない。
自分にとってのエンジンは心しかないのだ。



そしてそれが満たされている時はアクセル全開でどこまでもいけるそんな気がしてしまう。




頑張るには常に目的が必要なのだ。
自分はそれが人に起因しすぎてしまっている。


これではダメなのに、自分のために頑張らないといけないことは承知している。





しかし、自覚とは裏腹に自分の声に耳を傾けても何にも聞こえてこない。

何にも詰まってないのだ、自分の中には。



大切なものはいつも外にあって、自分の中にはない。


この生き方は辛いなぁと思ってしまう。



外の世界を守りぬいたり、必ず欲しいものを手に入れるほどの能力が自分にはないからだ。



いつだって自分の知らないところでそれが壊れてしまったり、自分には手に届かないものだったりする。



この気持ちが欲望に変わってしまえば、もうエンジンにはならなくなってしまう。



そんな時は涙を流さなければいけない。消化しなければならない。



そしてまたその気持ちをエンジンにして、走り出すしかないのだ。



でも今日だけはすこし立ち止まろうと思う。

燃え続けていた心から、久しぶりにSOSが聞こえた。




明日、また立ち上がるために今日は静かに生きるのである。