黑世界 雨下の章の感想文です。
日和の感想文はこちら。


今回も行ってきました!TRUMPシリーズ!
(繭期大夜会は見送ってしまいました……)

10/18日(日)、黒世界大阪マチソワです。


TRUMP関係で配信など何らかの動きがあると、アクセス数が跳ね上がるブログです。
昔ながらのアメーバさんにお世話になってるブログですが、遊びにきてくださっている方、ありがとうございます。
偶然でもリピートで来てくださった方、いつもありがとうございます。


急いでまとめた感想文なので、一作ずつとはいきませんが、いつも通り思ったことをつらつらと綴っていこうと思います(『雨下』後、『日和』待ちのファミレスにて)。

毎度ながら、
観劇前提で書き進めております。
未観劇の方はご注意ください



ダンスを観るのがとても好きなのですが、鞘師のダンス、バックダンサーでもひとりだけ体幹が強すぎで笑いました。
どんなジャンルのダンスでも、鞘師のダンスとしてものにしている感じが、あぁ、これがアメリカでの修行の成果なんだなぁ……と、じーんときました。

そしてリリーの旅装束がかわいすぎ案件。
外套?ポンチョが、ダンスとともに揺れるのがむちゃくちゃかわいい。


まず、観客側のドレスコードなのですが笑、わたし黒い服が悲しいくらいに似合わないのです……。観劇の1〜2回のためにわざわざ似合わない服を買うのも憚られて。

ドキドキしながら、せめてもの気持ちで暗めの服に身を包んで実際に劇場に行ってみたのですが(あんまり言うと特定されそう)、
性別・世代ともにいろんなお客さんがいらっしゃったので(関係者もいたのかな?)、問題なかったです。
アウターだけ黒って方も多かった気がします。

めっちゃTwitterで服装検索してたから安心した。笑

あと、ベビメタのツアーT着て来てるお兄さんがいらっしゃって、その手があったか!と感心しました。笑
鞘師ファンの方かな?この方も同じく服に悩んだんだろうか……案外みんなドレスコード問題は気に病んでたのかもしれない。
楽しめる方はガンガン来ていくのがいいと思うんですけどね!


そして、ソーシャルディスタンス繭期。
観劇途中で、(えっこれもしかして咬めないやつでは)と気づいたのですが(遅い)、
ちゃんと距離とって咬まれてた(『日和』でのマネキン描写は驚いた)。

でも咬む所作はいつも美しくて綺麗で、おそらく末満さんがこだわって演出してらっしゃると思うので、早く収束してほしいなぁ。


全体の感想としては、申し上げにくいのですが、そして当然承知の上で行ったことなのですが、
いわゆる“アンソロジー感”は拭えなくて、がっつり繭期モードに浸るには少し物足りなかったなという第一印象でした(この感想を書いているうちに変わってきましたが)。


リリー自身の不老不死があまり本筋にかかわって来ず、単に“当てのない旅をする女の子”としての位置になっているように見えてしまうのが、物足りなかった理由かも。
そう思わせないリリーの正気っぷりがすごいのかもしれませんが。

末満さん以外の脚本家さんが書く以上、リリーの不死やイニシアチブ設定などには深く言及できない、ましてや新設定や解釈など登場させられるわけもないというのが実状で、理由のひとつなのだと思われます。

『雨下』に人間とのエピソードが多いのも、それが理由かな。
(同じ人間世界が舞台でも、『マリーゴールド』の物語としての盛り上がりを思うと、なおそう思う。あとソフィーの狂いっぷりがやばい)


『雨下』で個人的に響いた話、あとで確認したら全部末満脚本だった。
いろんな脚本家さんがTRUMPシリーズを解釈する、というのはたしかに面白かったのだけれど、やっぱり私はTRUMPシリーズは末満さんの発想が観たくて通っているのだなぁと再確認させられてしまいました。


とはいえ、ひとつひとつ振り返ってみると、どれもいつのまにか思い入れのある作品になっている気がします。

世界観が目まぐるしく変わっていくので、混沌とした繭期の“刹那の夢”感はめちゃくちゃありました。
みんな思ってそうだけど、『求めろ捧げろ待っていろ』、いい意味でエグかった。笑


宮沢龍生さんの『ついでいくもの、こえていくこと』は、シリーズへの思い入れとは別の部分で、ひとつのお芝居作品として好きな作品でした。

人間にとっての“永遠”の概念が深く考えられていて、「ソフィー・トリロジー」ならぬ「人間サイド・トリロジー」という感じで完結していてとても良かったです。
そして爽やか。この平和な感じは絶対末満さんじゃないって感想を見たとき笑いました。


降田天さんの『馬車の日』は、末満さんの作ってきた世界観を大切にして書こうとされた思いが伝わってきました。じんわりと余韻が残る感じがTRUMPシリーズっぽい。

ちょっと構成や設定が難しい印象でしたが(ヘーゼル→母のイニシアチブってあんまり万能ではないん?)良い作品でした。
(いま“ヘーゼル”の名前が全然思い出せなくて、“カシュー”しか出なかった)


末満世界観に寄せたなかで個性を出すか、独自路線でいくかは難しい問題で、脚本家さんによりますよね。
こうして改めて思い出していくと、『雨下』も全体的に悪くなかったなぁと思います。

いずれにせよ、ソーシャルディスタンス演劇として、あのような音楽朗読劇で展開させる上で、一本の長い物語を構成するのは難しかったのだと思います。
こんな中でも試行錯誤しながらやってくださってありがとうございます。


そして、『雨下』で何よりも印象的なのがシュカ(表記がわからん)。
尊すぎか……。
シュカとリリーのカップリングを好きになる人、きっといるだろうなぁ。


雨下最大の感想は、観劇中ずっと思ってて、最後にシュカも言ってたけど、
リリーはずっと正気のままこの世界を漂っているという点なのですよ……。

それがリリー編の最大の悲劇ポイントになっている気がします。


初めにシュカのことを「悪い人じゃなさそう」と見抜く心、そして鬼灯(元ハンターだから漢字名っぽいのだろうか)やアイラへの哀れみは、昔から変わらぬリリーの心の優しさなんだよね……。

何百年たっても色褪せない、リリーの優しさ。
しかし、その優しさゆえに、リリーは受けなくてもいい傷をたくさん負い続けています。


それでも、これはクラウスにもソフィーにも真似できない生き方です。
ただ、意地でも狂わない理由が、ソフィーへの憎しみゆえというのがなんとも。憎しみという黒い感情のもとに、リリーの優しさが保たれているのは哀しいことだなと思います。


それに、LILIUM時点で、クランにおけるリリーの優しさは無責任で表面的だというような批判的な解釈もありました(すごく面白かった)。
それを思うと、リリーの優しさはリリー自身を不幸に陥れる元凶でもあるのかもしれない。

あと、『雪月花』(仮)では、リリーも偽スノウと戯れるんだよね。2020版年表がどうなってるのか、まだ分かりませんが。
そう思うと、リリーも狂っちゃうのだろうか……。
でも、正気で光源氏計画みたいなことしてても恐ろしいな。



シュカ、とても好きです。

冒頭の「守護者ってところかな?」的な発言の瞬間に、(いやアンタそれ死ぬやつや)と即座に思っちゃいましたが、彼が穏やかに命を終えられて本当に良かった。

あと、このシリーズであの髪型、大体敵陣営のダークホースっぽいじゃん(偏見)。
めっちゃ構えてたのに普通に良い人(悪い人になりきれない人)で泣きました。


追記でパンフを読んだんですけど、「シュカはリリーを愛していたんだと思います」
公式や中の方から明確な答えをもらうことの是非については人それぞれでしょうけど、
個人的にはもうこれ以上泣かせんとって……という気持ちでした。


ウル、希望、罪だよ……。

シュカだって、並の人なら狂って当たり前の状況で、狂うことのできない優しさを持ちあわせた人。
あのセリフは出なかったけど、リリーとシュカは一種の「君は僕で、僕は君だ」だったんじゃないかなぁと私は思います。


本来の設定としては、幻影のチェリーがその立ち位置なんだろうと思います。
リリーが言えない本音をときどき代弁してるあたり、チェリーの“代弁”を聞くと、優しいリリーは聖人君子なんかじゃなくて、文句も不満ももつ“歳相応の女の子”なんだと気づかせてくれます。


シュカはちょっと気どった奴だけど憎めなくて、その素直な一面と贖罪の姿勢にめちゃくちゃ感情移入してしまう。

何よりもスノードロップを見て涙を流したリリーに衝撃を受けたシュカの感情は、同じ場面を見た時の観客のそれとリンクするのではないかと思います。

花を見て(親友を思い出して)涙を流す感情を残しながらも、筆舌に尽くし難い拷問をリリーが受けていたことに対する哀しみ・哀れみの衝動を抱いた瞬間、シュカとこちらの感情が重なり合って、感情移入してしまうのかなと思います。

リリーがかわいそうでかわいそうで、どうにか救われてほしいという観客の思いは、シュカの贖罪の思いと重なり、その思いはシュカ自身の同僚に手をかけさせ、彼の手を血に染めさせます。

雨下の章を通した観客の視点は、きっとシュカの視点でもあるんだなぁ。
何千年もの時を超えてこの物語を見届けている観客は、さながらウルを服用したシュカのようなものなのかもしれません。傍観しか許されない存在。


雨下の前半は、人間との関わりの物語が多めですね。

わたし、以前にソフィーに関して、ソフィーはイニシアチブ下に入るヴァンプよりも人間と仲良くした方が幸せじゃないか説、を唱えましたが、
実際にリリーと人間たちの関わりは(リリーの優しさも相まって)とても穏やかです。

……でも、人間界を舞台にした『マリーゴールド』のソフィーの極悪非道な悪役っぷりを見てると、本人の性格(狂い方)次第なのかもしれないな。笑
ソフィーはもちろん大好きです。
彼らが安らかな眠りという星を掴めますように。


今回の『雨下』は、イニシアチブ炸裂!闇!!って感じのTRUMPシリーズを期待していくとちょっと拍子抜けかもしれませんが。

不死リリーの人間関係は、ヴァンプのシュカ含め、本当にどこか穏やか(『日和』で裏切られませんように……)。
そのへんは、リリーの人徳なんじゃないでしょうか(八方美人だって指摘もあるとは思う)。


あぁ、守護者であるシュカの雨が止んだのが切なすぎる……。

タイトル「枯れゆくウル」の“ウル”は本当に、残り少ない薬のウルだけを指しているのでしょうか。
“大木が枯れゆくように”死んでいったシュカは、リリーの“希望=ウル”にはなり得なかったんですよね……。

真っ白なLILIUMの世界の雨が止み、ファルスとして過ごす中での“守護者”の雨が止んでも、リリーの世界はなお“黒”いままです。

なぜなら、(『日和』の内容に関わってきますが、)リリーが自分を許せない限り、どれほどあたたかい人々との交流をどれだけ重ねても、彼女は永遠の黒世界に囚われたまま、希望は存在しえないから。

だからこそ、雨が止んだ『日和』は贖罪の旅になるのでしょう。

よろしければ日和の感想文もどうぞ。