黑世界 日和の章の感想文です。
雨下の感想文はこちら。


10/18(日)黒世界大阪ソワレ。

毎度ながら、
観劇前提で書き進めております。
シリーズ作品の内容にも触れています。
未観劇の方はご注意ください


正直な感想なのですが、『日和』の方がとても見応えがありました。

『雨下』の時に感じた体力的しんどさがあんまりなくて、こちらはチケット代におつりがくるくらいの内容でした(オムニバス形式に慣れたのもあるかも)。

和田さん(和田俊輔さん)の音楽作品が大好きなので、和田作品を堪能できるだけで今回は十分すぎるくらい満足なのですけどね。
てらべすと聴きまくってた新良さんの歌声も生で堪能できて最高でした!


『日和』ですが、「家族ごっこ」を通したストーリーの一貫性もわかりやすかったです。
やはり末満さん出動回は、物語が繋がってるとグッと迫るものがあります。
『雨下』も、シュカの登場や、リリーの“正気”を確認するという点では繫がっているんですけどね。

ギャグ回(ハライチ岩井さん)もこちらの方がタイプでした(耳がギャンギャンしましたけど笑)。カップルちゃんうるさかわいい。

末満さんが比較を嫌がってるのでそういった意図はありませんが、 個人的に『ポーの一族』の影響で、一人の人間の半生や老いを通して不老不死を対比する描写がめちゃくちゃ好きなので、今回のラッカとの交流はとても良かったです。

但し、漫画じゃなく舞台で、5才〜10才〜25歳(?)〜125歳(??)を描写する・演じ分けるには、そら朴璐美さん降臨するわな……と納得。役者さんすごい。



『日和』は贖罪の旅ですね。

それでも、リリーが“失う”ことのできない優しさが、ひとつの家族を得させた物語だと思います。

悲しいけど、ソフィーの方は、イニシアチブを使わずにそばに人を置いておくことができないので。本当に心を通わせる存在は、ウル以来存在しないのです……。
ソフィーだって、かつては親友から「君は優しいな」と言われる心を持っていたのにね。
でも、優しいソフィーでいられなくなったファルスとしてのソフィーの不器用さや歪みこそが、彼の痛ましささえ感じさせる魅力でもあるんですよね。
だから私はソフィー・アンダーソンが大好きです。

誰かにそばにいてほしいのに、心を通わせられないソフィー。
心を通わせられる誰かがいるのに、そばには置かないリリー。

そこらへんがリリーとソフィーの最大の違いかな。
大丈夫だよ、リリー。あなたは憎んでいるソフィー・アンダーソンとは違う。


しかし、『雨下』の方では、リリーの優しさ優しさと連呼しましたが、『日和』でチェリーのぼやきをリリーの本音として注意深く聞いていると、リリーは聖人君子でも何でもなくて、別に誰にでも心から優しいってわけじゃないのはよく分かるんですけどね。

ただ、表面的には優しく接さずにはいられない性格してると思う。それは一種の優しさと呼んでいいんじゃないかなと思います。
(マリーゴールドの一件をはじめ、いろんないざこざの引き金にはなってるけど)

というか、チェリーのぼやき、たまにリリーはそのまま発言してんじゃないかと思ってしまいます。
演出と言われればそこまでですが、チェリーの反論に周囲が適切に答えをくれすぎている。これがリリーが無意識に本音を口にしていまっているのなら面白いなと思いました。なんといっても繭期だし。


また、『雨下』の時は落ち着いた年齢の役者さんが多めてリリーの“永遠の少女”感がめちゃくちゃ際立ってましたが、『日和』は若い人も多くて、それもまたリリーが出会う人々の幅を感じさせて面白かったです。
もちろん、『雨下』のベテラン陣の安定感も最強&最高でした。


そういえば、肉体再生時に血が紛れ込んだら、ファルスの意識に入り込めるというのは新事実でしたね。

それにしても、鞘師の“再生”の動き、リアルすぎてゾッとした。すごすぎる。
「家族ごっこ」で蘇る時のリリーもしぬほど鳥肌たちました。全身がビリビリするあの感じはなかなか体験できないです。


ちなみにノックは拒みましたが、血とともに永遠に共存し続けることは可能なのかもしれませんね。どうせ本気で実行するには適正なんかがあるのでしょうが。

『TRUMP』でウルが死んだ時、火災のなかでソフィーは再生を繰り返したはずですが、そのときにウルの血が紛れ込んでいたら、また別の結末があったのかもしれない。



『二本の鎖』(来楽零さん)、お互いにイニシアチブで縛り合ってるヴァンプの恋人同士ってのは、この世界に存在するんだろうなってのはずっと思ってました。

女の子(かわいい名前だったのに、思い出せそうで出せない)は元からアントニーのこと好きだったよって王道展開がくると思ってましたが、
個人的には、イニシアチブを解いたけど、「愛してるわ」で、あれーー??みたいなオチも見てみたかった。
そっちのほうがありがちか。笑

それでも本編でのお互いがリリーに「内緒ね」と告げてくる展開はとても可愛かったです。


それにしても、未成年が他人のイニシアチブをとれる能力を持ってるのは情操教育上まじで問題だよな……と常々思ってしまうのは、たぶん職業柄です。



『青い薔薇の教会』(葛木英さん)も、展開はしんどいのにめちゃくちゃ愛しい話でした。
セリフのひとつひとつが心に響いてきて、(この脚本家さん、好き……)となりました。

というか脚本家さんの界隈は無知なのですが、この方女性だったのですね。言葉選びが好きすぎるので、この方の小説とか読みたい。


ーー罰を与えるか決めるのは当事者の自分だけだ、許せないけど深く反省してるなら許そうと努力したい。

ーー罰をくれないなら他人でもいいから罰をほしい。
……こっちは気持ちは分かるものの、逆に無責任に感じてしまいます。真面目なのは分かるんだが、同じく真面目な神父の葛藤も考慮してやってくれ……!


そして、リリー。彼女は一向に自分を許すことができないですね。
最初から最後まで囃し立ててくる双子の幻影まじこわい。紫蘭と竜胆、双子だと判明してからあの関係性がなんだか薄気味悪く感じています。

私は『日和』のテーマは贖罪だと勝手に思っているので、「青い薔薇の教会』は非・末満作品でありながら、日和の章や黒世界の核部分に触れているような気がします。


それと。
最後にノックが「少女純潔」を歌うの、反則すぎでしょ……。
とてもリリー編らしい終わり方。

ノックが歌うことで、同じ歌詞なのにクランの友人たちが語りかけるのとも意味が異なっている気がします(あと歌唱力すごすぎ)。
リリーのことを心から慈しみをもって見守る存在が、あの歌の瞬間からリリーの中に生きるようになったというか(但し、そのリリー自身は永遠に絶望の“黒世界”を漂ってる)。

でも、リリーを受け入れたノックたちの視点から「君の夢を見よう」という同じ言葉を言われる(歌われる)ってことは、
案外、あれを歌ったクランの友人たちも、リリーが思いつめているほど彼女のことを恨んではいないのかもしれない。

まぁ、リリー自身が罪の意識の幻影として無意識に紫蘭竜胆を選んでいるように、
ずっと仲良し双子で永遠に添い遂げたかった彼女らは、それを終わらせたリリーを許さないでしょうが。笑


雨下も日和も、オープニングのリリーの動きは花が開いてしぼんでいく表現ですかね。すごく美しかったです。
冒頭にうずくまったリリーは蕾でしょうか。すごくさびしそう。


そして『日和』ラストのリリーは、完全に『TRUMP』ラストのソフィーと全く一緒。
皮肉にも、大嫌いなソフィーと結局おなじ道を辿るしかないんですよね。
でも、彼女はせめてもの足掻きで、彼のようには決して狂わない。

彼女の旅は、その強い意思と彼女自身の優しさゆえのあたたかな人間関係を築いていますが、同時にそれゆえの傷も増え続けている(本編風に言うなら「失い続けている」)。


それにしても『LILIUM』で最後から2番目のミュージカルナンバー、自身にまだ終わりがあることを疑わないリリーが歌う「永遠の繭期の終わり」の歌詞。

“どれだけつらいことがあってもそれをすべて受け入れるの”

“夢のなかで夢をみてはいけない”


一見、虚構に生きるファルス(ソフィー)を揶揄するような歌詞ですが、この直後に不死の絶望を知って絶叫するリリー、という展開を知ると、ひどく滑稽な歌詞に聞こえるんですよね。

偉そうにファルスに説教してるようで全部ブーメラン、っていう。


なのに、黒世界のリリー、まじでどれだけつらいことがあってもそれをすべて受け入れてた。
泣きそう。

ファルスにあんなこと言ったリリーだって結局受け入れられない絶望でしょ、さすがに不死は。
……って思ってたのに、リリーの永遠の繭期はとても穏やか。

あの歌詞がひっかかって、リリーはどこか自分勝手で滑稽で、複雑な感情が入り混じって好きなキャラクターだったんだけど、これを知るとリリーのこと、純粋に好きになっちゃうな。
そういう発見ができただけで黒世界観に行った意味があります。

すこし若い鞘師のサントラを聞くとほんと哀しくなります。


余談ですが、TRUMPシリーズの世界は、いつになっても文明が進みませんね。

『マリーゴールド』時点(LILIUM前)でケリトン出版社などが機能していることから、産業革命と市民社会はとうに訪れているようなのですが、リリーが何百年旅をしようと、文明はあまり変わっていないようです。

あのレトロな世界観がずっと続くのもフィクションとしてとても魅力的なので、構わないのですけど……。


あと余談ついでに呟きますが、ヴァンパイアハンターは変人しかいないのか??笑

『SPECTER』からそうですが、年々キャラの濃いのが出てきますね。ピエトロとかむちゃくちゃ常識人に見えてくるわ。あっ中の人同じか。



最後に、これは本編とは関係ない話で、
私の気のせいだといいんですけど、
先に見たマチネの『雨下』の時は(あれ、鞘師の歌ってこんなんだっけ……?)と少し心配になりました。『日和』ではそういうことは全く感じさせなかったのですが。

私はあまり俳優さんたちのミス回に当たらない方なのですが(一作品一観劇が基本のにわかなのが理由でしょうが)、
新良さんがセリフ回しで咳払いしていたり、他の方々も噛んでしまう場面があったりと、終盤にきて皆さん少しお疲れだったのかもしれません……。

いつもとは違う、感染症というシビアな問題に常に気を配りながらの今回の公演、スタッフの方々を含め、いつになくストレスがかかっているのかなぁと思います。


そんな中で開催してくださったこと、本当に感謝しかありません。
シリーズ初の試みに対していろいろと書いてしまいましたが、最終的な感想は、やはりこのご時世でもやってくださってありがとう、に尽きます。

感染症で世の中全体にストレスが蔓延するなか、素敵な作品を生み出してくださって本当に感謝です。


(雨下の感想文はこちらです)