『和顔愛語』


「愛語」というのは、優しい言葉をかけることで、道元禅師は『正法眼蔵』の中で次のように説いています。


愛語というは、衆生をみるにまづ慈悲の心をおこし、顧愛の言葉をほどこすなり。おおよそ暴悪の言語なきなり。
世俗には安否をとう礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。
慈念衆生猶如赤子(衆生を慈念することなお赤子のごとし)のおもいをたくはへて言語するは愛語なり。
徳あるはほむべし、徳なきはあはれむべし。
愛語をこのむよりは、やうやう愛語を増長するなり。
しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。
現在の身命の在するあいだ、好んで愛語すべし。世世生生にも不退転ならん。
怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。
むかいて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。
むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。
しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子とせり。
愛語よく廻転のちからあることを学すべきなり。


他人に対して慈愛の心を起こすことが愛語の根本です。優しい言葉をかけているときは、当然のことながら、ひどい言葉は使いません。
世間には「お元気ですか」などと安否を問う礼儀があり、仏道には、「お大事に」などの自愛を勧める言葉があり、また目上の人に「ご機嫌いかがですか」とうかがう礼儀があります。
他人に対して優しい気持ちになるのは、母親が自分の赤ちゃんに接するのと同じようなもので、母親が子にするように優しい言葉をかけるのが愛語というものです。
いいところはほめ、悪いところのある人には温かい心で接しなさい。お互いが友になるには、自分も相手も優しい気持ちになれるように、優しい言葉をかけることが大切です。
相手が直接優しい言葉をかけてくれると、自分の顔も心も優しくなります。その言葉を人づてに聞いても決して忘れません。
愛語は愛する心から起こるのであり、愛する心というのは慈しみの心を種としています。
そして愛語には、天を逆に廻転させるほどの力があるのです。


「すべてを味方 すべてが味方  著者 小林正観」より