「今日」という日は、「2つ」の特別な日が重なった日です。
ひとつは、「もっとも経験を重ねた日、もっとも知恵がたくさんある日」です。
「今日」の私は、これまでの人生の中で最長老であり、最ベテランであり、最古参である、と言えます。「私」という人生を振り返ったとき、「今日」の私ほど、経験を積んだ人はいません。

その、「もっとも経験を積み、もっとも知識を持った自分」が下した判断は、その日の時点では、「すべて100%正しい」と考えることができます。
その日の「私」の判断は、余人を持って替えられない。すべての環境や条件や状況がわかっていて、自分の人生の過去も現在もすべて知り尽くしている「私」でなければ、その判断はできなかったのです。
半年前や1年前の判断に対して、「もっとああしておけばよかった」「こっちではなくあっちを選べばよかった」と思うこともありますが、そう思えること自体、「自分が進歩・向上している証」にほかなりません。半年、1年の間に自分が以前よりも成長し、大きな判断力を身に付けたことになります。

逆に、今日を含めた未来を考えたとき、「今日」は、「もっとも未熟な日」です。
「今日」の私は、もっとも未熟であり、最若年者であることに気がつきます。それがわかったとき、「もっと勉強しよう」「もっと向上しよう」と思うようになるでしょう。
「今日」は、過去の人生の中でもっとも優れた「最上位の自分」と、未来に向けてもっとも未熟な「最年少の自分」の「2つ」が重なった特別な日なのです。

「人生」を「天上界へと続く階段」に喩えてみます。
生れたときが階段のいちばん下です。途中まで上がった「現在」から下を見ると、今の自分は「もっとも高いところ」にいます。
半年前、1年前の自分を見下ろして「ああすればよかった」と悔やんでしまうのは、「今の私」から見ると、半年前、1年前の自分が未熟に見えるからです。
けれどそれは当たり前で、未熟に見えないほうがおかしい。だから、後悔も反省もしなくていいのです。
ところが、階段の上を見ると、今の自分は「いちばん低いところ」にいます。だから、常に「謙虚」になることが大切です。

過去の自分の判断に後悔をする人は、未来のことをあまり考えていないような気がします。自分を磨いたり向上させたりすること以上に、過去を悔やみ後悔することにとらわれているようです。自分を高めようとしない人にかぎって、過去を振り返ってばかりいます。
過去に自分が下した判断は、正しかった。その時点では「最高の自分」だったのですから、「完全に100%正しかった」のです。

過去を悔やむことをやめて、未来に向けて「いかに自分を磨くか、向上させるか、成長させるか」を考えてみてはいかがでしょうか。過去を振り返るより、「今の自分がどれだけ未熟か」を認識しながら、謙虚に生きていくことにしましょう。

「ありがとうの神様 著者小林正観」より