ようやく体調も落ち着いて来たという事で一か月前バッハの父の身に何が起こったのか、入院中何故連絡が出来なかったのかを公開させていただきます。

まず始めに、今回の件で御心配、ご迷惑をお掛けしてしまった皆様、大変申し訳ございませんでした。

では早速ですが一か月前に何があったのかから、内容がシュールにつき一部可愛らしい表現を用いて解説させて頂きます(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾笑

まず、私が倒れたのは2/22の早朝、スタジオにて楽曲制作に打ち込んで居た時のことでした。

普段であれば栄養ドリンクバーという独自に開発(っていうほどの物では無いけども)した栄養ドリンク飲み放題の状態で楽曲制作に打ち込むのですが、バレンタインシーズンという事でチョコが大量に届いていたのでそれを消化するため糖分を絶っていたので三徹でしたが栄養ドリンク飲まずで作業に当たっていました。(忙し過ぎてチョコも取りに行けず、チョコイベントにも行けず結局当分不足に)

さすがに何か胃に入れないとやばいな…と感じ「ドミノっピーザ♪」に電話し宅配をお願いした所で倒れました。

みなさんお気付きの通りです。

皮肉にもドミノピザの配達員に倒れているところを助けられたのです‼︎

そして救急車で運ばれ、入院する事になったのです。

それだけでは止まらず、糖分不足で筋肉がうまく動かず、呼吸が出来なくなり、心停止…可愛く言うと「ドッキドキが止まっちゃったぞぉ♪」状態になってしまったりしていたのです。

2回目の「ドッキドキが止まっちゃったぞぉ♪」状態になった時に手術室近くの病室に移され、3回目の「ドッキドキが止まっちゃったぞぉ♪」状態になった時は手術室で処置されもうダメかもしれないと諦めていたのですが手術室は音楽が流せる環境だったらしく私のLINE MUSICのお気に入りリストが再生され乃木坂の曲が流れる…「無表情」…心停止してても耳ははっきり聞こえてたので「大丈夫 ほっといて 私なら平気よ」という歌詞に全力でツッコミを入れる形で心臓復活٩( 'ω' )و笑

どうやら生にしがみつくの生は生田の生だったらしい…

それにしても「ここじゃないどこか」じゃなくて本当に良かったと思う:(;゙゚'ω゚'):笑

因みに余談ですが、この経験から脳死は人の死か?という社会で課題になっている問題について私の見解は人の死であるという答えが出た。というのも人は死んでからしばらくは耳が聞こえるということを聞いたことがあったがそれが事実だと体感し、脳死の場合は音が聴こえない(脳に反応が見られない)事が脳死判定基準であるとされている為、音が聴こえないなら私はもうこの世に未練は無いだろうと感じた為です。

さて、そこから徐々に体は回復していくのですが、入院中、これはチャンスと思い作家業や仕事をバンバン進めようと気合を入れて作業していたところを看護師に確保され「過労で倒れた奴が何をやっている」と電子機器、ノート、ペン、全て没収され連絡もできない状態になってしまったという_:(´ཀ`」 ∠):←自業自得

そこからはDボタンと漫画だけが僕の友達になっていたのさ(* ̄ω ̄)ノ

最初の頃、医者に言われた「今日、尿が出なかったら管通すから」という言葉には泣きそうになり「僕の尿道」が:(;゙゚'ω゚'):(3期生のみんなゴメン_:(´ཀ`」 ∠):)となっていましたが普通になんとかなりました٩( 'ω' )و笑

それはさておき体力が落ちて、更に花粉が到来した私は喉がやられてしまい四回に一回血混ざりの痰(たん)が出る日々を過ごしていました…

可愛く言うと

「たんたんた〜ん♪けったんた〜ん♪」
(ゆったんゴメン_:(´ཀ`」 ∠):笑)

花粉ってアレルギーなら免疫落ちてたら症状も和らぐんじゃ無いの?って思ってたんですけども何やらシステムが違うらしく難しい説明を受けたんですが忘れました(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾笑

そして、経過観察のため先週の木曜日まで大人しくして、無事退院という流れでした٩( 'ω' )و

原因は糖分不足だったのですが、私は頭を使う仕事ばっかしてるせいで人の3倍くらい糖分を摂取しても普通なレベルに糖分を消費しているらしくデスノの「L」みたいなもので、スポーツバカを脳筋というのに対し私はその逆の筋脳野郎だと言われましたσ(^_^;)笑

なので当分は大人しくしておこうと(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾笑

はやく全快になってまた元気に全国走り回りたいぜよ(T ^ T)笑

って事で、みんな、私を見かけたら容赦無く甘いもの与えてね♪笑

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さて、題名の三年に一度という言葉の意味なのですが…

これは私が中学の時にイオンの渡り通路で店を開いていた占い師に言われた「君は三年に一度、大きな不幸に見舞われ28歳で命を落とす。」と言われたことに由来します。

その時はカケラも信じて居なかったのですが、その直後、竹竿を大量に積んだ老人の自転車と衝突し左腕が使えなくなりバスケ生命を絶たれたのが中1から中2になる頃、その三年後にバンドのデビューの話が相次ぎ断ったのち「今は時期じゃないから今後は本格的にデビューを視野にスタイルをしっかりさせて頑張っていこう」と話したところ「デビューするつもりはないから」とドラムが脱退、ドラムと同じクラスだったベースも気不味さから脱退、ギターは残ってくれたものの事務所全てに直接現状を話し残った二人はこれからも本気でやっていくと一人全国謝罪ツアー、決まって居たライブは打ち込みとアコースティックで消化、ストレスで自律神経失調症と肝機能低下などなど見舞われ、その3年後は震災が起こり事務所設立直後、節電の影響でイベントの活動自粛要請が国から出され仕事が全くできない状態に、更に三年後はデザインパートナーに裏切られる…遡ると小4で教室で足を引っ掛けられ左目を潰しかける、小1で両親が離婚、3歳でショッピングカートの前にぶら下がって転倒し死にかける…などなどありあまりにも当てはまって過ぎて…

28歳で命を落とすというのも…

でも、不幸の後には毎回劇運が訪れるのも特徴(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

だから私は三年に一度の不幸ではなく、三年に一度の劇運という風に捉えてる♪

今回も帰宅直後に生写真開いたら直筆あったし、3年前は乃木坂46にも出会えた♪

だからポジティブに考える(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾笑

因みに私が30歳過ぎてから音大に行く、レミゼに出演するという目標を立ててるのは自分の運命に逆らう意思と生きる希望を強く持つため。

そして、1日1日をウザいくらいに全力で
生きているのは本当に28歳までしか生きられないなら自分のリミットまでにどれだけ自分の存在をこの世に残していけるかっていう挑戦心からでもある。

オカルトチックな話だから読んでる人はよくわかんないかもしれないけど、実際自分の人生となるとみんなこうなるよ:(;゙゚'ω゚'):笑

医者にも人より体が弱いから長生きはできないかもしれないと言われ、曽祖母の御葬式でお坊さんの説法の時に「ひょっとしたら君が一番最初に亡くなるかも知れないし」と例えを出されたりと(この時は母親が怖がり過ぎて直ぐに御守り買ってきてくれた)偶然にしてはでき過ぎてる事を突きつけられるとね:(;゙゚'ω゚'):

だから私は1日1日を大切に、全力で生きると決めたのだ(* ̄ω ̄)ノ

人は限界だと思ってからもうちょっと行ける。

30歳過ぎてからのバッハの父をお楽しみに(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾笑