"Syoko, /The Lead Vocalist." | アントニオ(教授)のブログ

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ライブや芝居や映画などのレビューを書いていきます。かなり偏ってますが(笑)

鈴木祥子さん、2023年最初のライブは千駄ヶ谷ビクタースタジオ302stでのレコーディングライブ。今年は35周年イヤーということで、デビュー当時から現在までを少しずつ振り返るようにライブを行っていきます、とのこと。4月のライブ開催も発表されました。

ビクタースタジオといえば、2022年4月10日に「公開録音ライブ」がありました。その時は401stでした。この時はコントロールルームから聴かせてもらったので、今回はスタジオ側をセレクト。幸いにも最前列!ちなみに401stと302stは、祥子さんとエンジニアの中山さんにとっては思い入れが深いstなのかな、と思います。お二人揃ったインタビュー記事の中で出てきてますし。
https://r-p-m.jp/interview/shokosuzuki

開場15:00、開演16:00の予定が、16:00を過ぎても開場とならず不安になりましたが(苦笑)、祥子さん、大丈夫です、怒ってませんよ!

スタジオに入ると、座席の上にヘッドホンが。会場内にはマイクはありますがスピーカはありません。エンジニアの中山佳敬さんから「今日は生音も聴けますが、こちらが作った最高の音を直接お聴き頂きます」と説明がありました(ちょっとあやふや)。なるほど、スタジオライブならではの贅沢さです。

一部はデビュー曲「夏はどこへいった」の2023Ver.のレコーディングです。テイク1~3の音の重ね、祥子さんのボーカルのパート毎の録り直しなど、レコーディングそのもののも大変興味深かったのですが、デビュー、デビュー曲にまつわるお話し(スザンヌベガのこととか)がとてもとても興味深いものでした。こうしたMC、これまで無かったんじゃないかな?背景を知って聴く「夏はどこいへいった」はまた格別でした。徐々に仕上がっていく音も素晴らしかった。大変希有な経験をさせて頂きました。そうそう、テープでアナログ録音で、「今戻してまーす」が逆に新鮮でした。

二部はデビュー初期、EPIC時代の楽曲によるライブ。目の前に祥子さんやミュージシャンの方々がいらっしゃるのに、祥子さん、ミュージシャンのみなさんも観客も全員ヘッドホン。中山さんがその場でプロデュースされている音をダイレクトに聴きます。目の前にはギターが、ちょっと右前に祥子さんが、その向こうにキーボードなのですが、全て自分の耳元で、目の前で演奏されているように聞こえます。これはスタジオライブならでは、いや、観客全員にヘッドホンでこれを提供するのはかなり準備も大変だったと思います、最も贅沢なライブの形ではないでしょうか?「あぁ、これが本物かぁ」と実感しました。

この日のライブの真骨頂は「とどくかしら」のセッション、これしかないと思います。この曲に入る前のMCでの「どうなるか分からないって、良いことですよね」との言葉。今日一番、今の私に刺さりました。「ちょっとJazzっぽいセッションで」との言葉通り、後半は三者(とコントロールルームメンバー)による「息の合った」アドリブセッションの様相に。何だろう、勇気というか、明日からの生きる活力をもらったというか。はい。

この日は「Radio Genic」からの楽曲が多かったですね。中山さんと最初にご一緒されたアルバムだからでしょうか。「両手いっぱい」の逸話、テイクに納得いかず「総取っ替え」してEPICの人から嫌な目でみられた話。そう、「Radio Genic」がリリースされた当時、「あれ?」と思ったんですよね。明らかにこのアルバムから何かが違う。その後の「SNAPSHOTS」「Candy Apple Red」に至っては、「一体何があったの?」と思ったものです。その辺りのお話しも今日のお話から察することがちょっと出来たかな。4月のライブもEPIC時代の楽曲とのこと、MCでどのようなお話しが飛び出すか、そちらも楽しみです。

三人での最後の楽曲は「風の扉」。3枚目のアルバムの表題曲で、初めて作詞した作品。この曲、最初に川村真澄さんの詩があったのに、「どうしてもこれが歌いたい」と詩を変えた、とのお話し、これも私は初めてお聞きする話で。「自分の道はこう、このように進みたい!」という気持ちを表現したかった、とのこと。確かに、「VIRIDIA」「水の冠」という前2作とは詩の印象が違うんですよね。それはリリース当時も感じたことで。CD再生して一曲目がこの「風の扉」ですが、何というか、メッセージ色が強いというか硬派というか。アルバムだとその後に続く「愛はいつも」にもそれは感じました。

今 わたしが目指す場所は
たったひとつ
探すことを やめはしない

この歌詞も、今日のお話を聞いた後だと胸に響くものがあります。

なぜ祥子さんを35年間も応援し続けてきたのか、それができたのか、改めて今日実感できました。その時その時にやりたいこと、歌いたいこと、それはきっと祥子さんご本人の成長の道程で、それを包み隠さずさらけ出すような楽曲を世に出し続けてくれたことに、自分自身の日々を重ねて、応援しているつもりが応援されていた、そんな関係だったんだという思いを強くしました。私の上京が1987年、祥子さんのデビューが1988年、というのも大きいですね。

ラストは祥子さん一人での「どこにもかえらない」アカペラ披露。観客の皆さんもマスク越しですが一緒に歌います。いつ終わるか分からない、祥子さんと観客によるセッション。楽しかったです!

4月以降のライブ。祥子さんの35年間を自分自身の20歳上京時からの成長(したよね、多少は)と重ねて振り返れる二度と無いであろう機会、鈴木祥子とは私にとって一体何だったのかを再認識することになるであろう機会、刮目して待ちます。楽しみです!