この稿のはじまりは先日の日曜日の午後にさかのぼる。東京都に住む中年男ドム氏は午後、遅い昼食をとろうと都内某所にあるファミリーレストラン(いわゆるファミレス)に入った。ランチタイムの混雑を避けて入った店内は、日曜日のせいで、わりと混んでいた。とはいえ空席が見当たらないほどではない。
 ドム氏はファミレスの入口をあけてなかに入り、キャッシャーの前で店員がくるのを待っていた。ふつうこの手の飲食店では店員が来客を迎えて、喫煙席か禁煙席かの希望をきき、しかるのちに席まで誘導するしくみになっている。店員がくるまで勝手に好きな席へ行って陣取ってはいけないだろうとの判断が経験則から働く。
 ところが待てど暮らせど店員がこない。
 業を煮やしたドム氏は店員の誘導を待たずに勝手に席を選ぶことにした。やや空いた一隅の席に座って、傍らに挿してあるお品書きをひらいた。これにするかと決めてテーブルにあるボタンを押した。すると、今度こそ店員がきた。
 若い女性の店員だった。丸い顔に細い目をしていた。
「すみません。お待たせいたしました。いまお冷やとオシボリをおもちします」
 店員はマニュアル通りにそう言った。
 ドム氏はお品書きをひらいていたので、そのまま注文の所作に入った。
「サーモンとアボカドのサラダごはん。ドリンクバーつきで」
 ドム氏は注文した。
 注文して間もなく、ドム氏は自分が座った席が喫煙席であることに気がついた。左隣の席のおじさんがタバコを吸っているのが目についたからだ。ドム氏はタバコを吸わない。したがって座るのはいつも禁煙席である。
 ドム氏は店員を再び呼び、禁煙席に移らせてもらおうかと思案した。でもそうすると、おそらくさっきの店員が伝票を差し替えなくてはならないだろう。店の都合など知ったことかと断行する人はいるにちがいない。だが、残念なことにドム氏は公衆のいる場所では紳士らしくふるまいたいという虚栄心が働くタイプだった。
 ドム氏は喫煙席で我慢することにした。ほどなく、先ほどの店員が頼んだ料理を運んできた。ドム氏は押し黙って店員に皿を並べさせた。無愛想に一言返事をして、店員をさがらせた。紳士らしく見せかけようという心理はどこかへ消え去り、いまのドム氏の心を占めているのはあのうすのろの店員に自分が少々意地悪な人物だと思わせてやりたい気持ちと、自分が興味があるのは一身上のことについてで、この店の店員にはまったくないことを無言で示してやることだった。
 以上の経緯はこれから述べようとすることとはなんの関係もない。だが以下に述べるのはドム氏こと筆者がそのファミレスで供された料理を食べながら考えたことである。サーモンとアボカドのサラダごはん、この料理はボリュームたっぷりでなかなか美味しかったから、料理にケチをつけるつもりはない。

 小説は文学の一ジャンルである。小説のそのまた下位ジャンルに、推理小説、SF、時代小説、ホラー小説などなどがある。それらのなかにはジャンルの決まり事があり、作家たちがそれを厳重に守っているものもある。
 ところで、いま挙げた下位ジャンルの全部は日本ではエンターテイメント(娯楽小説)または大衆文学と呼ばれるものに類している。セシル・サカイ著『日本の大衆文学』(一九九七年)によれば、大衆文学という呼称が定着しはじめたのは一九二五、六年頃、すなわち昭和のはじめ頃である。
 なぜ「大衆文学」という新たな呼称の文芸作品群が生まれたのか。理由はそれに先立って「純文学」が存在したからである。正確にはのちに「純文学」と呼ばれるようになる文学的傾向が。
 筆者は大学で解釈学を専攻した人間で、書誌学や文献学には疎い。したがってそれらが台頭した詳しい経緯は省略させていただく。ここで強調しておくのは志賀直哉や芥川龍之介らは大正時代初頭から活動しており、彼らにわずかに先立つ形で自然主義文学がはじまっていたことだ。
 自然主義の出現後、私小説や心境小説が現れた。志賀も芥川も私小説、心境小説を手がけている。そういうものを概括して「純文学」と呼ぶようになった。大正年間の出来事である。
 この「純文学」と対になるかたちで「大衆文学」が生まれたのだ。それらは日本における小説の大別とされている。「純文学」や「大衆文学」は、推理小説やSFがそうであるような小説の下位ジャンルなのだろうか。いまのところ、その二つは小説の下位ジャンルだと思われていない。事実はさておき、文学界の通念においては。

 大衆文学はちょっと古くさい呼称だと思う人が今日には多いだろう。大衆、という言葉は昭和の流行り言葉で、現在では大衆食堂とか大衆割烹とかの一部の昭和レトロな飲食店に使われているだけだと感じる人は多い。筆者がこないだ食事をしたファミレスは大衆食堂ではない。利用客は大衆と言って差し支えないはずなのだが。
 そこで昨今では娯楽小説、あるいはエンターテイメント小説という英語由来の言葉を使うことが多い。これらの語は新たに誕生したジャンルを指すものではない。大衆文学の言い換えであり、同じものを別な呼び方で呼ぶようになっただけだ。
 それなら昔ながらの大衆食堂をファミレスと呼んでもいいはずだが、なぜかそうならない。
 この大衆文学あらため娯楽小説ないしエンターテイメント小説と、純文学とが、日本における小説の傾向の大きな区別とされている。これは純文学との対比から生まれた区別にすぎない。そしてその両者を区別したのは菊池寛をはじめとする大正末から昭和初期の文学者である。
 ここでもう一度問うことにする。純文学は小説の下位ジャンルではないのかと。

 純文学のはじまりは先述した通り自然主義文学であった。まだ当初は「純文学」という呼称は一般的でなかったと思うが、自然主義こそが当時考えられた文学の模範であり、文学の最先端とされた。
 自然主義が興隆してから私小説が出現し、流行るまでは筆者の認識では数年かそこらしか経ていない。自然主義作家の田山花袋が書いた『蒲団』なる小説の題材が作者自身の実生活であったことから、自然主義文学から私小説が生まれ出たとする意見がある。いや、そうではないとする意見もある。どっちだろう。
 どっちだっていい。『蒲団』も私小説も同じ傾向をもっている。田山花袋は『蒲団』で自分の実生活を題材にしたが、なぜそうしたのか。私小説家がやはり自分の生活を反映した内容の作品を書いたのはなぜか。こうした事態は外国では起きていない。日本にだけ起きたことだ。
 私小説は大正末期までに下火になった。一部の作家は昭和期以降も書き続けたが、私小説を書かない作家たちも含めて、純文学作家の作品には今日に至るまで固有の特徴がある。それは、書かれた作品に作者とその作品を書いた事実の鏡写しの関係が影を落としていることだ(正確に写す鏡かどうかは関係ない、写っていればいい)。逆に言えば、純文学の小説は作者と切り離して考えることが難しい。
「この小説を書いた○○氏」を考慮せずに純文学を評することは実は稀なのだ。
 なぜそうなっているのか。答は一つしかない。純文学が作家の自己救済を目的とした文学傾向だからである。
 自己救済する動機に基づいて書かれたのが純文学であり、大衆文学=エンターテイメント小説は「それ以外」なのだ。エンターテイメント小説に自己救済動機が含まれていることは少ない。
 昭和初期に成立した「純文学」と「大衆文学」の区別とは、「自己救済文学と、それ以外」の区別にほかならない。今日でも純文学作家は自己救済動機を宿した小説を生産しつづけている。
 昭和期の作家を振り返ろう。安部公房は「壁ーS・カルマ氏の犯罪」という奇妙な小説で芥川賞を受賞したが、この小説は宇野浩二をはじめとする芥川賞選考委員にはなはだ評判が悪かった。宇野浩二が貶した理由はこの作品に自己救済動機が薄弱だからだろう。
 ところが安部公房が長編小説『砂の女』を発表すると、世評が上がった。映画化されて有名になったばかりでなく、安部公房の文学的評価が高まった。『砂の女』や、それにつづく『他人の顔』『燃え尽きた地図』などはSF的とか推理小説的と評されることもあるが、私見ではこれらの小説が高評価を受けたのは主として自己救済動機で書かれた作品だからである。
『砂の女』の主人公は都会から僻地へ出かけ、砂に囲まれた集落で脱出できなくなり、集落民の女と夫婦になり、自らは失踪を遂げることに成功する。この内容的プロセス、僻地へと失踪を遂げた主人公とともに、作者は砂のなかよりも窮屈な都会の社会生活から自己を救い出すことに成功している。安部公房は純文学になったのだ。
 近年作家デビューして芥川賞受賞作『火花』がベストセラーになったお笑いタレントの又吉直樹も、『火花』で実現したことは芸人として成功するまでの苦楽のプロセスを通じての自己救済である。この作品は自己救済動機で書かれたもので、それゆえに芥川賞選考委員にもすんなり受け入れられたのだろう。まがいもなく純文学だと理解されたわけだ。
 自己救済こそが高級な文学的主題だと思われた時代に「純文学」はできあがった。いまはどうか知らない。だが、このような偏った特定の動機で書かれた小説を一つの下位ジャンルに等しいものと見なさないのは不合理である。
 筆者も小説を書いているが自己救済動機では書いていない。したがって筆者の作品は純文学のカテゴリには入らない。
 だからといって、純文学=自己救済文学はすべて退屈で無価値だなどと言うつもりはない。過去の純文学作家で優れた人は、志賀直哉にしろ谷崎潤一郎にしろ、また古井由吉や中上健次にしろ、自己救済以外の要素が面白い。要するにこのジャンルの決まり事と積極的に関係しない部分によって卓越した小説家たりえている。そのことはハッキリ言っておく。
 純文学とエンターテイメント小説の区別が「自己救済文学と、それ以外」にしか基づかない以上、この区別には意味がない。この区別に意味があると考える人は文学で自己救済することに意味があると思っている。もう『蒲団』から百年以上経っている。そろそろ気づいてもよさそうなものだ。純文学作家たちは自分の店が大衆食堂でもファミレスでもない、自己救済レストランという風変わりな飲食店であることを知らずにメニューを提供していると思う。