いつもだらだら
   いつかばくはつ
          
 僕の名はカイル。この田舎町きっての好青年だ。その証拠に僕の歌声はのびやかによく響く。道を歩きながら、僕は「さんた、るちあ」と歌う。「おお、それ見よ」と歌うこともある。「あもーれ、あもーれ」と歌うこともある。僕が歌うと道端の木々と茂みも唱和する。僕が通りかかると枝や葉っぱがゆさゆさ揺れる。
 新緑の季節だった。はじめて葉が生えた木々が道に沿って立ち並ぶ。こんな木、見たことない。僕は気になって触ってみた。まだ肌の柔らかい木だ。コブシかタラノキだろう。
「あもーれ、あもーれ……」
 茂みの向こうから低い声の気が乗らない歌が聞こえてきた。僕がヒョイと茂みを覗き込むと、庭師のおじさんが低木の剪定をしながら歌を口ずさんでいた。僕はおじさんに話しかけた。
「おじさん。そんな調子の出ない歌なんか歌わないでよ?」
 すると庭師のおじさんは帽子のつばをもち上げて僕を見た。
「だれか歌ってるなと思ったら、カイルだったのか」
「そうだよ」僕は言った。「おじさん、歌うならもっと元気よく歌ってよ」
 僕は自分でお手本を示した。
「あもーれ、あもーれ」
 すると庭師のおじさんはハサミをもったまま「あもーれ、あもーれ……」と歌ったがその調子はさっぱり冴えなかった。
「またその調子? 冴えないねえ」
「だって、しょうがないよ」おじさんは言った。「おいら頑張りたくないんだもの」
 庭師のおじさんの返答に僕はくさくさした気分になった。どうしてこの町の人たちは頑張らないんだろう。ちょっとだけ頑張ろうとか、何分いや何秒かだけでも頑張るとか、それすら思わないのだろうか。
「そういや、明日は運動会だったね」
 庭師のおじさんが言った。言われて思い出した。そうだ、明日は学校で運動会があるんだ。校長先生や来賓の人たちが白いテントの下の椅子に座るんだ。僕らは始まる前に挨拶するだろう。挨拶といっても「ちわース」とか「ちィース」とかじゃない。「こんち、またまた」とかでもない。僕は演壇の上に乗り、声高らかに話すんだ。
「ご来賓のみなさま。今日は運動会にいらっしゃいましてまことにありがとうございます」
 パチパチパチ。拍手と歓声が湧く。この瞬間僕のなかの血は熱く燃えるんだ。おお、燃える燃える燃え上がる。燃え上がれ、燃え上がれ、カイル。
「めんどくさいことだなあ」庭師のおじさんは突然言った。「おいら、運動なんて面倒だから玉入れしか出ないよ」
 僕はおじさんのめんどくさがりに、なんとなくムカムカしてきた。
「おじさん、年に一度の運動会ぐらい頑張ってよ」
「やだなあ」おじさんは答えた。「頑張りたくないなあ」
 僕は呆れてその場を去った。
 僕はどこへ向かっていたのだろう。おお、そうだ、僕はメイプルの家へ行くところだったんだ。メイプルは坂の上に住んでいる女の子だ。教室でいつも僕の隣の席だ。僕とメイプルが隣同士になっているのは、つまり僕らがそうしたいからなんだ。僕らはなるべくそばにいたい。くっつきたい。身体と身体をくっつけたい。
 メイプルの家へ行くには坂道をのぼってゆくんだ。この坂道は大してきつくない。大してきつくないから坂の勾配と同じ角度に背筋を伸ばしてのぼってゆける。
 僕はメイプルの家の前につくとメイプルを呼んだ。
「メイプル」しばらくしてもう一度呼んだ。「メ、イ、プ、ル」
 すると一階の窓があいた。メイプルが顔を現した。
「カイル。おはよう」メイプルが言った。「いい天気ね」
「本当にいい天気だね」僕は言った。それから歌った。「おお、それ見よ」
「おお、それ見よ」
 メイプルも歌った。元気いっぱいの歌声だった。僕は嬉しくなった。
「ねえメイプル。明日は運動会だね」僕は言った。「楽しみだねえ。僕はきっとうまく選手宣誓するよ」
 僕の言葉を聞くとメイプルはニッコリ微笑んだ。
「カイルはきっとすばらしく選手宣誓すると思うわ」
 僕はメイプルの言葉を聞いてブルッと身体を震わした。武者震いだ。がぜん選手宣誓したくなった。宣誓したくてしたくてたまらなくなってきた。
「宣誓っ」僕は思わず片手を上げて言った。「われわれはスポーツマンシップにのっとり……」
「カイル」メイプルは窓につかまって首を振った。「いま宣誓しなくていいわ。明日頑張ってくれたほうがいいわ」
 メイプルに言われて僕はてへっと舌を出した。僕の悪い癖だ。すぐその気になって早まってしまう。
「わかった。僕は明日まで選手宣誓しないよ」僕は言った。「明日の運動会はきっと活躍してみせるよ。僕は徒競走で一着をとるよ」
「カイルはきっと徒競走で一着になるわ」とメイプル。
「あと、綱引きでも力強く引っぱるよ」
「カイルがいれば百人力よ」
「玉入れでもいっぱい玉を投げ入れる」
「カイルはだれよりも玉をたくさん入れると思う」
「棒倒しでもかなり棒を倒すぞ」
「カイルはきっと棒を倒しまくるわ」
 僕はすっかり嬉しくなった。窓辺に近寄り、身を乗り出したメイプルを抱きしめた。そしてほっぺたにキスした。メイプルは「カイル。好きよ」と言ってくれた。僕もメイプルに「好きだよ」と言った。
 メイプルとはそれで別れた。
 道を歩いていると小学生の坊やがトボトボ歩いていた。運動用の紅白帽をかぶっている。明日の運動会に備えてだな。それがわかって嬉しくなった。ところがよく見ると坊やの帽子は皺だらけで、あごでとめるゴムのひもがだらんと垂れ下がっている。坊やは歩きながら垂れ下がったゴムひもを口にくわえ出した。
 坊やに頑張らない気配を感じて、僕は歌を歌ってみた。
「おお、それ見よ」
 すると坊やはうつむいたまま歌った。
「ボラれ、おお、お金ボラーれ」
 僕は立ち止まって坊やを呼び止めた。
「坊や。明日の運動会はなんの種目に出るのかい?」
 坊やは振り返って僕を見た。それからつまらなそうに首を振った。
「ぼく、運動会出ないよ」坊やは答えた。「出たくないんだ」
「運動会に出たくない?」僕はおどろいた。「なぜだい?」
「疲れるし、かったるいからさ」と坊や。「ぼく、頑張りたくないんだ」
 僕は帽子のゴムひもを口のなかでクチャクチャ噛んでいるこの坊やの考えを正したくなった。年上らしく説教した。
「坊や。そういう後ろ向きな考え方ではいけないよ」僕は言った。「前向きにならなくちゃ。歩く時は胸を張って前を向いて歩くんだ。後ろへ下がっちゃいけない」
「後ろ向きって、こういうの?」
 坊やは言うと、道でムーンウォークしてみせた。器用な坊やだ。
「頑張らないように生きようなんて思ったらいけないってことさ」僕は言った。「坊や、いいかい? 明日の運動会はきっと出るんだよ。坊やは、そう、棒倒しが向いているよ」
 坊やは僕の言葉を聞き流して歩き出した。歩きながら「ボラれ、お金ボラーれ」と歌った。

 翌朝。僕は起きた。力がみなぎっていた。僕は運動会で必ずや好成績をおさめるだろう。そして町の英雄になるだろう。
 僕は朝食にトーストとベーコンエッグを食べると昼食のサンドイッチをカゴに入れて出かけた。道端の草木がこちらを向いてお辞儀していた。僕が通ると沿道で敬礼する兵隊よろしく、木々の枝葉がサッと僕をよけた。学校につくと爽やかな風がグラウンドを吹き渡っていた。
 僕は町のみんながやってくるのをいまかいまかと待っていた。ところがいつになっても一人もこなかった。開会式の数分前になってメイプルがやってきた。僕たちは挨拶した。
「だれもこない」僕は言った。「みんな遅刻してくるのかな? 開会式の時刻をまちがえてるのかな?」
「さあ、わからないわ」メイプルは不思議そうに言った。「でも校長先生ならさっき校舎内にいたよ?」
 だれも集まらないのに我慢できず、ひとまず校舎にいる校長先生にきいてみることにした。僕が校舎内に入ると校長先生は廊下にいた。壁に片手をもたれて立っていた。木にもたれている人、というより廊下に生えた木のようだ。僕がグラウンドにだれも集まらないことを話すと、
「うん、そりゃそうだろう」校長先生は答えた。「運動会なんて、うん、どうかい。だれもやりたくないだろう。どうも気が乗らないだろう」
 校長先生のセリフを聞いて僕は愕然としてしまった。
「校長先生。どうしてみんな運動会をやりたくないんですか?」
「うん、そりゃ決まってる。恒例行事だから毎年やらされるだけで、運動会をまだかまだかと待ち望んでいるやつなんかこの町に一人もいない。あ、うん、きみを除いてはな」校長先生はカカシのように廊下で両腕を広げてバランスをとりながら「カイル。きみはなにか誤解してるようだな。この町の人々はみんな頑張らない人々なのだ。頑張らないでいたいのだ。このわしを含めてな」
 校長先生は窓からグラウンドを眺めた。依然としてだれもきていなかった。それを見て校長先生は言った。
「うん、やっぱり、思った通りだれもこない。運動会は中止だな」
「そんな……」
「カイル。運動がしたけりゃ、うん、きみ一人でやればいい。みんなを巻き込まないでくれよ。迷惑だからな」
「……」
 校長先生は帰って行った。僕は呆然としていた。グラウンドに出ると殺風景な広がりのなかにメイプルだけがいた。白いテントの下の来賓席に腰かけて僕を見ていた。僕は演壇の上にのぼってあぐらをかいた。
 しばらく待っていたが、だれも現れなかった。みんなで示し合わせて学校に近寄らないようにしてるようだった。演壇に座りながら、僕は悔し涙が湧いてきた。一度泣いてしまうと涙は止まらなかった。あとからあとからモリモリ涙は湧いた。僕は男のくせにみっともなく声を上げて泣いた。
 いつの間にかメイプルが演壇の僕の背後にきていた。
「カイル」メイプルは僕の肩に手をのせて言った。「もう、運動会はあきらめましょう。仕方ないわ。わたしたちだけで過ごしましょう」
 僕が振り向くと、メイプルは優しく微笑んだ。メイプルは僕の手をとると、立ち上がらせた。
「どうせだれもこないなら」メイプルは僕の耳に口を近づけて「校舎の保健室で一緒にいようよ」
「え……?」
 僕が当惑すると、メイプルは言った。「保健室にはベッドがあるし、真新しいシーツが敷いてあるわ」その声には蜜のような響きがあった。「二人きりで学校を貸切にできるんだから、楽しまなくちゃ」
 僕はそれを聞いて興奮してきた。鼓動が早鐘を打ち、のどがカラカラに渇いてきた。運動会のことが頭から吹っ飛び、僕の目の前にいるかわいい少女のことでいっぱいになってしまった。
「うん。メイプル、一緒に保健室へ行こう。今日一日そこで二人きりで過ごそう」
 僕らは喜び勇んで校舎内の保健室へ移動した。校舎内はだれもいなかった。保健室に入り、念のため鍵をかけた。白いベッドにメイプルと一緒に座ると、メイプルは僕の首に抱きついてきた。いい匂いがした。
 保健室の窓ガラスのそとにプラタナスの木があり、その枝に一羽の小鳥だけがとまって僕たちを見ていた。



後編へ続く。