以前買った教養文庫版『村野四郎詩集』を時々読んでいる。酒を飲みながら読むこともある。僕の場合、酒を飲んで読める本は限られている。小説や評論はダメだ。頭に入らない。散文の文脈を了解しつつ味わう能力がアルコールで鈍るからである。
 飲みながら読めるのは漫画か詩集である。またはくだけたエッセイ。詩は短いから文脈をとらえて味わうのに苦労しない。そんなわけで『村野四郎詩集』は僕の部屋の椅子の傍らにいつも置いてある。
 この詩集は村野四郎の半生の主だった詩のダイジェストである。編者は小海永二。これが刊行された時、村野四郎はまだ生きていたようだ。収められた詩は各出典の詩集ごとに区切られている。処女詩集『罠』から『体操詩集』『抒情飛行』『珊瑚の鞭』『故園の菫』までが日本の敗戦前までに出版された詩集。『予感』から『実在の岸辺』『抽象の域』『亡羊記』『蒼白な紀行』とそれ以後が敗戦後に出た詩集となっている。
 いつもこの本をひもとくたびに僕が気になるのは太平洋戦争中に出た詩集で、特に『抒情飛行』『珊瑚の鞭』あたりに収録されていた抒情詩が気になる。気になるというのはそれらの抒情詩が村野四郎のほかの時期の作品よりもおもしろいからだ。いわゆるノイエ・ザッハリヒカイト(新即物主義)にのっとって書いた『体操詩集』よりおもしろいし、一般に村野四郎の代表作とされている『亡羊記』など戦後の詩よりおもしろい。
 なにがどうおもしろいのかを考えるのがこの小文の狙いである。

 村野四郎という詩人は若い頃から晩年まで、作風というか文体が変わっていない。つまり基本的な詩の世界観は変化しない。ところが時期によって個々の詩の傾向が変わる。これは小変化であり、豹変と呼ぶには少々足りない事態である。
 敗戦後に書かれた次のような詩がある。


    黒い歌

 目からも 耳からも
 暗黒があふれて
 夜に溶解した肉体が
 口から ながれだしている
 あれはいったい 何という人間だ
 あの黒い歌

 ここに夜明けはくることがない
 地球のかげの
 枝もない 家もない 犬もない
 真空の空間
 そこで 死ねない心臓が
 睡れない心臓が
 うたっている うたっている
 世界の友よ
 あの歌をおきき
 この平和の 黒い歌


 この詩が発表されたのは昭和二十五年だが、書かれたのは敗戦直後のようだ。ここに表象された詩人の感情はまったくよくわかる。とりわけ、戦時下に書かれた『故園の菫』の戦死した弟への挽歌を読んだ上で考えると、敗戦後に村野四郎がこんな詩を書いたことは理解できる。
 つまり詩人は戦争中に愛国詩を書き、弟の戦死を誇らしく思ったので、敗戦後の日本人がいきなり米軍に迎合して戦争を悪しきものと反省し始めたことに納得できないのだ。弟は、戦争の犠牲になった国民はなんのために死んだのかという思いが「夜明けはくることがない」「この平和の 黒い歌」になる。グロテスクなイメージだが、表象されたものと表現の関係は明快といってよい。
 時代社会に反応した感情を詠うこうした詩に比して、戦争中ないし日米戦争前夜の時期に書かれた次のような詩が意味するものはなんだろう。


    故園の春

 私はふかぶかと
 故園の春の中に沈む
 父や祖父たちが朽ちはてた
 くろい土の上に
 きょう うつくしく
 梅の花散り
 彼らのひろい胸郭(むね)の匂や
 ふるい野良衣の匂が
 私の肉体(からだ)のまわりにたゞよう
 
 私は千年もまえから生きていた
 そして なお
 千年の後に生きるだろう
 愛というにはあまりに深く
 もはや痛みもなく
 憂いもなく
 漠々たる故園の空の中から
 新しい雲雀のこえが
 秒刻(せこんど)のように墜ちてくる


 故園、と指された場所が詩人の郷里であることはハッキリしている。したがってこの詩をノスタルジーの所産と受けとることは可能だが、必ずしも郷愁だけを直截に詠ったものではないと思う。「私は千年もまえから生きていた/そして なお/千年の後に生きるだろう」という、超自然的な発言の力強い肯定性は郷愁から出てきたものだろうか。「秒刻(せこんど)のように墜ちてくる」「新しい雲雀のこえ」はこの詩の語り手にひとつの決心を促しているように見える。
 そしてその決心の意味はわからない。日米戦争へ向かってゆく時代に書かれた詩だから、やがてきたる戦争に十全の心構えで臨むぞとの決心と解するのは穿ちすぎだろう。郷愁が拡大されて祖先を崇敬する思いが膨れ上がったのかといったら、そんなことでもない気がする。ただこの詩は爽やかで清々しい。ほとんど詩人の個人的な心情を超えている。時代社会との関連も定かでないから、社会とは無関係か関連が稀薄だといって差し支えないはずである。
 この「故園の春」が収められた詩集『抒情飛行』そしてそれにつづく詩集『珊瑚の鞭』が村野四郎の抒情詩のなかで殊に魅力的な詩だと僕は考える。敗戦後に刊行された詩集『予感』からは苦しい悲愴感のうちに田園が表象されるようになり、それは時代社会と無関係ではありえない。戦争前夜と戦争中のつかの間の時期に村野四郎は純粋な抒情詩を書いたのだ。つまり詩だけで自立した世界をつくりえたと思う。
 戦後の代表作『亡羊記』を見てみよう。


    死

 追われどおしに 追われて来た
 蹄も割れ 眼球も渇き
 空と森が遠くに後退しはじめた

 わたしの屍体が
 さみしい茨のなかにころがっていると
 やがて 誰かが近づいてきた
 愛と恐怖の面もちで
 血に濡れている獲物を
 そっと見とどけにきた猟人のように
  魂がわたしを探しに来た


 完成された詩である。狩人に追われて殺される獲物に自身をなぞらえた詩はこの詩集にほかにもある。「蹄も割れ 眼球も渇き/空と森が遠くに後退しはじめた」という描写はうまいなと思う。これなど『体操詩集』の昔とった杵柄だろう。みごとだなとは思うが、こうした詩を読んでも僕の心はソワソワしない。
『亡羊記』は安定した感情の世界である。詩の表現として申し分ない完成度に達した詩集だ。しかし戦時下に発表された詩群に比べ、この詩集の詩は言葉がどこからきたのか、なにに由来するのかが明らかだ。その明澄さにつらぬかれることを詩人もわかっていて引き受けている。
 僕が村野四郎の詩でおもしろいと思うのは、むしろ次のような表現である。


    室内

 卓子から垂れるレースのように
 神よ あなたの言葉は
 私を蔽うて私の世界からさがる
 私の思想は
 あなたの下にかくれてつつましく
 私の上で
 あなたの花甕はさきみだれる
 私はあなたの為の一つの台だ

 私は日々に私に似つかわしい
 あなたと
 あなたから散りこぼれるものを支えながら


 上と下、また「垂れる」「散りこぼれる」という動詞が萩原朔太郎の空間システムを想わせないでもないが、なんの神かわからないがとにかく「神」と呼ばれているものと語り手の牽引が美しい。
 村野四郎は戦後、謎めいた抒情詩を書かなくなった。それはどうしてだろうと思うが、戦時下のつかの間に残した独特な抒情詩に僕は惹かれている。