土方美雄の日々これ・・・ -4ページ目

「オッペンハイマー」

まぁ、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーを主人公にした時点で、一体、どういう映画になるかは、はじめから、わかっていたといえる。クリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」は、アカデミー賞も獲って、おおむね、高評価らしい。

物理学者のオッペンハイマーは、アメリカ合州国のすすめるマンハッタン計画のリーダーとなり、原爆を開発し、その原爆は、米軍によって、すぐに、広島と長崎に投下され、甚大な被害をもたらすことになる。その威力に衝撃を受けたオッペンハイマーは、原爆に続く、水爆の開発には反対の意を表明し、結果的には、巷の「赤狩り」にも巻き込まれ、共産党支持の過去を、問われることになる。

しかし、これは本当に、反戦の映画なのか???オッペンハイマーは、原爆の開発に、極めて積極的だったし、原爆を広島と長崎に落として、その威力を見せつけることで、戦争は終わると、周囲に、主張し続けていた。本当は、ドイツに落としたかった・・とも。原爆を落とすことで、日本の民衆に被害が出ることも、当然のことながら、想定していた。たとえ、五千や1万の民衆が死んでも、それによって、平和がもたらされるとまで、彼はいってのけたのだ。実際には、原爆の被害は、オッペンハイマーの想定をはるかに超えるものであったし、結果的には、原爆の発明は、世界をさらなる軍拡競争へと巻き込んでいくことになるのである。決して、原爆を落とすことで、平和は来なかったのだから、彼の考えはすべて間違っており、その責任を彼が負うことは、明々白々だ。第1、平和のための原爆という考え方自体が、そもそも、間違っている。そのための犠牲になるのは、常に、民衆なのだ。ウン十万なら問題で、五千や一万なら、許容範囲だなどということは、絶対に、ない。

故に、私は、この映画を、決して、評価しない。もちろん、広島・長崎の被害を、声高に叫ぶ一方で、日本のアジアへの加害の実態に目をつぶる傾向にも、同様に、絶対に、反対である。

オッペンハイマーには、キリアン・マーフィー、その妻・キティにエミリー・グラント、その他、ロバート・ダウニーJr.、ケネス・ブラナー、マッド・デイモン等、豪華な顔ぶれが揃った。

 

 

 

 

アンデスの物語世界&ふざけんな、オッペンハイマーッ!!!

家に着いたのが、午後7時半ごろだったので、30分遅れで、藤田護さんの「アンデス南部高原地帯のアイマラ語を中心とした物語世界へ」を、Zoom視聴。参加費を払った人は、44人いたが、Zoomでリアルタイムで観たのは、その約半数くらいである。私も危ないところだったが、どうにか、かろうじて、放映に間に合った(もちろん、遅刻は遅刻ですが)。

「ラテンアメリカ探訪」はあと3回で、通算200回。すでに、5月、6月は、その内容と話者が決まっていて、7月か8月に、通算200回の記念シンポを開催する。もっとも、7月は「ラテンアメリカ探訪アート展NOSOTROS」、8月は「土方美雄と、時代遅れの8月の濡れた砂」展もあるので、果たして、無事、乗り切れるか、どうか、不安。

昨日は、川崎のチネチッタで、「オッペンハイマー」を観た。3時間もの超大作で、しかも、クリストファー・ノーランお家芸の、時間軸が、バラバラ。原爆を完成させ、広島と長崎に投下しておいて、その被害の大きさにおののき、水爆開発反対に転じる・・って、おいおい、戦争をやめさせるために、広島と長崎に原爆を投下する、出来れば、ドイツにも使いたかった・・って、いっていたのは、てめえだろうが、オッペンハイマーッ!!!アカデミー賞を獲ろうが、何を獲ろうが、私はこんな映画は嫌いだし、反戦映画だとも、まったく、思わない。いずれ、映画に関するコメントは、多分、書くが、疲れすぎていて、今日、明日は、無理。

 

「陰陽師0」

夢枕獏の原作を元???に、監督の佐藤嗣麻子が自ら脚本を書いた、若き日の安倍晴明と、その親友・源博雅の出会いを描いた「陰陽師」の前日譚。安倍晴明に山崎賢人、源博雅に染谷将太。山崎は「ゴールデンカムイ」「キングダム」の2大人気シリーズの主演に続き、「陰陽師0」にも、主演。まさに、文字通り、向かうところ敵なしの、勢い。

出来は、まぁ、合格点かな???という感じだけれども、原作者の漠さんが、絶賛しているので、よしとしよう(たとえ、社交儀礼だったとしても)。

以前の、野村萬斎さんが安倍晴明を演じた「陰陽師」シリーズに比べれば、特撮は格段に進歩した。すでに完成形の、野村萬斎の晴明に比べ、山崎賢人の晴明は、陰陽師になる前の晴明なので、まだ未熟な部分もあって、これはこれでよいと思う。染谷将太は、ハッキリいって、博雅のイメージからは、少し遠いかな???と危惧していたが、さすが、演技巧者。確かに、博雅そのものの人物像を、キチッと、つくりあげていた。脱帽です。

何か、山崎・染谷コンビの「陰陽師」が、さらに、観たくなってきた。

 

 

 

ドラゴン・タトゥーの女、再び!!!

ブログに載せようと書いた、長めの原稿を、瞬時に、失ったショックから、立ち直れず、長いブログを書く気がしない。

昨日も、夜の12時過ぎに、夕食というか、その日、初めての食事。開いているのは、国道筋のラーメン店、ただ1軒なので、選択肢はゼロだ。食べ終えてから、そういえば・・と思い出したのが、徒歩十数分くらいのところに、ファミレスがあったこと。でも、ファミレスって、昔は、24時間営業だったけれども、今も、そうなのか???そもそも、潰れずに、今もそこにあるのか、どうかも、わからない。スマホで調べる???残念ながら、当方は、ガラケー。

大昔、深夜に、よくそこに、コーヒーを飲みに行って、ドリンクバーで、3杯くらい、飲んで、時間をつぶしたことを、思い出したのだ。いつもドリンクバーでは悪いと思って、時々、ドリアとかを、頼んだりも、した。ドリアって、ファミレスくらいでしか、頼まないなぁ・・とも。私は、どちらかといえば、グラタンの方が好きだが、グラタンも、チンするだけの、冷凍食品くらいでしか、食べない。

まぁ、それはどうでもよいとして・・。

昨日から、「ミレニアム7」(早川書房、上・下2巻、各1980円+税)。7作目からは、スウェーデンのカーリン・スミルノフが担当し始めた。3部作の予定だという。最初の3作を書いたスティーグ・ラーソンが急死してから、これで2人目の代作者である。ラーソンの当初の構想では、10部作だったらしい。もちろん、ラーソンがどう、物語をつづるつもりだったのかは、天のみぞ知るなので、ラーソンが喜んでいるか、どうかも、天のみぞ知るである。

確か、ラーソンが途中まで書いた、「ミレニアム4」の原稿があったらしいが、4作目から6作目までは、それは無視されて、別の作家(ダヴィド・ラーゲルクランツ)が、書くことになった。ラーソンの4が、かなり、気になる。

 

 

 

 

 

原稿消えて、復元不能

書いた、相当、長めの原稿が、すべて、消えた。復元不能。もう1度、書き直す気もしないので、書かなかったことにするしかない。あ~あ、かなりの時間を、無駄遣いしてしまった(泣)。ダメージが相当大きかったので、同じテーマでは、おそらく、もう書かないと思う。

校正マンの時代

昔、東京新聞(中日新聞東京本社)で、校閲の仕事を3年くらい、していた。大学を卒業したのに、仕事がなく、バイトで入社した。夕方、出勤し、社員食堂で飯を食い、午前3時くらいまで、朝刊の記事の、ゲラ校正をしていた。

仕事が終わると、新聞社がマイクロバスを、方面別に出してくれ、それで、明け方、阿佐ヶ谷の下宿まで、戻った。

3年目に、正社員にしてもいいという話が、出た。ただし、ずっと、校閲部勤務だという。仕事は昼夜、完全に逆転しているし、大晦日だって、休めない。いくら何でも、それはイヤだなと思って、断った。母からは、新聞社に勤められるのに、なんで断ったの・・と、えらく、怒られた。

その後、しばらく、雑文書きをしていたが、妻に、結婚の条件に、定職についてといわれて、とある業界紙の記者になった。それからは、いくつもの業界紙を渡り歩く人生になった。

校正は、赤ペンを片手に、元原とゲラを照らし合わせて、赤字を入れるが、明らかな誤字や、記述に間違いがあれば、訂正もする。私のような下っ端は、前閲といって、さらに、ベテラン校閲マンが、ダブル・チェックをする。

様々な記事が流れてきて、退屈はしなかったが、決して、楽しい仕事でも、ない。下宿に戻ると、泥のように寝て、昼ごろ、起きて、茶店(ぽえむ)で飯を食い、阿佐ヶ谷や、乗り換え駅の新宿を、ブラブラして、夕方、再び、新聞社に向かう。毎日が、そのくり返し。私の20代半ばの、日常茶飯。

 

恥多き人生

ひとつ前のブログのタイトルは、「うたたか」ではなく、当然のことながら、「うたかた」です。気づかずに、半日ずっと、放置していた。恥ずかしい。

それから、「さよならだけが、人生だ」は、これは私が書いた通り、井伏鱒二が正解。太宰治ではないのです。以前、天野恵一さんという人と、太宰か、井伏かで、くだらない、大論争。私が、勝ちました。そう、いかにも、太宰がいいそうなフレーズだけれども、井伏鱒二なのです。私は、若いころ、太宰治の大ファンで、そのすべての作品を、読破しているので、「さよならだけが、人生だ」なんて、太宰が書いていないことは、百も承知。でも、天野さんは、絶対、太宰だと言い張るので、何かを賭けたのです。何を賭けたのかは、もう、忘れたけれども、きっと、下らないものだ(笑)。

実をいうと、昔、父の本棚にあった、文学全集で、井伏鱒二と太宰治の巻があり、それに井伏の作品として、載っていたのです。井伏鱒二なんて、ほぼ読んだことないので、そうでなければ、それが、井伏が書いた詩のフレーズだなんてことは、わからなかった。井伏と太宰、全然、作風は違うけれども、実は、師弟関係なのですね。もちろん、井伏が「師」。

こう見えても、私は昔は、「文学青年」だった。小説も、詩も書いたし、新日本文学会の主催する日本文学学校にも、在籍していたことがある。でも、小説は、活字になったのは、たった2本だけだし、全然、ものにならなかった。兎にも角にも、ライターにはなったが、所詮、雑文書き。

最初の仕事は、とある雑誌での、覆面座談会の記事。実は、座談会など、やっておらず、すべて、私がでっち上げた。何でも、チャチャっと書くので、重宝がられた。頼まれて、ゴースト・ライターもした。恥多き人生である。

 

 

 

 

 

 

うたかた

昨日は、所用で、大森へ。その用をすませたあと、久しぶりに、「坂内」へ行き、肉そば(チャーシュー麺)の大盛りを食べ、その後、キネカ大森へ。「Here」を観る。

さらに、駅ビル・アトレのブック・ファーストで、「陰陽師0」のノベライズ(文庫本)を、買う。夢枕獏の原作をもとに、監督の佐藤嗣麻子が脚本を書き、それをノベライズにしたヤツ。映画は、今日、公開。晴明と博雅の出会いを描いた物語である。原作とは少し印象が違うが、若き日の清明だし、社交儀礼かも???ですが、原作者の獏さん自身が、その出来には満足しているようなので、まぁ、いいか・・という感じ。いずれ、観るつもり。

それから、スタバに入って、その本を読み、温かいチャイティーラテの、トールサイズを飲んだ。

実は、30年ぶりに、野毛一起さんにメールを書き、返信もいただいた。彼も、私とほぼ同年代なので、70代。お互いに、長い、回り道の、人生である。

娘の病気は、多分、飲んでいる薬の副作用と、判明。同じ病院なので、どうするか、先生同士で、科を超えて、話し合っていただくことにする。いずれにせよ、原因不明のままよりは、一歩前進。二歩後退にならないことを、願っている。

私自身は、今日は下痢。下痢止めストッパーを飲む。

人生はうたかただ。泡のように、消える。さよならだけが、人生だ(井伏鱒二)。

 

ベルギー映画「Here」

ベルギーの映画である。バス・ドゥボス監督作品。もう1本、「ゴースト・トロピック」という監督作品も、観のがしたが、同時に、公開されていた。欧州では、話題の人らしい。

とりあえず、観たのは、偶然。キネカ大森に行ったら、やっていて、どういう映画か、まったく、わからなかったが、何か、面白そうという、感だけで、観た。

主人公は、2人。1人は、ルーマニア生まれの、建築労働者のシュテファン。働いていた工事現場が、長期休業となり、故郷のルーマニアに戻るか、どうか、悩んでいる。冷蔵庫の中のあり合わせの素材を使って、スープをつくるのが、趣味。

もう1人は、中国系ベルギー人のシュシュ。苔類の研究者が本職だが、中国レストランで、働いている。

そんな2人が、偶然、出会って、シュシュの苔採取に、シュテファンがつき合う内に、親密度を深めていく。ただ、それだけの映画である。とにかく、苔採取のため、分け入った森の中の映像が、限りなく、美しい。

もう1本の「ゴースト・トロピック」は、未見だが、ブリッセルで働く、掃除婦が、終電だか、終バスだかに乗り遅れ、家に帰宅するまでの出来事を、描いているらしい。

要は、ベルギーで働く移民を主人公にした、物語をつくる人なのか???「Here」と「ゴースト・トロピック」の2本を合わせた、パンフレットもつくられていたみたいだが、生憎、売れ切れとのこと。で、どういう監督なのか、結局のところ、よく、わからない。わからないが、「Here」は、なかなか、独特の、味わいのある映画だった。

 

追記 その後、監督へのインタビュー記事を、ネットで探して、読んだ。やはり、ベルギーの移民社会をテーマに、考え方の相違を乗り越えて、人々が共生していける社会を・・という、監督の基本的なスタンスが、それからも、確認出来た。また、「ゴースト・トロピック」は、まだ、一部の劇場では、上映されているようだ。

「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」

国立西洋美術館で5月12日まで開催されている特別展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか? 国立西洋美術館65年目の自問/現代美術家たちへの問いかけ」を観た。もう火曜日の話だけれども、あれこれあって、疲れ果て、その感想を書く気力が、今日まで、なかった。

「国立西洋美術館は、それこそ未来のアーティストを育むところになってほしいという願いを託されながらに創設された・・にもかかわらず、それらの思いは事実上、置き去りにされているに等しい。なぜといって国立西洋美術館はこれまで一度として、設立以降の時間を生きた/生きるアーテイストらを触発することができたのかどうかを問うてはおらず、ましてや検証してもいないからである」という、問題意識をもとに、気鋭の現代アーティストたちに、美術館を開放し、美術館のこれからの役割と、未来への美術への提言とを、それぞれの展示作品を通して、自由に語ってもらおううという、企画である。

しかしながら、主催者の意図はともかく、西洋美術館に来る人には、イマイチ、ピンとこないテーマのようで、特別展の会場は、実のところ、とても、空いていた。特別展のチケット2000円を買えば、常設展も同時に観ることが出来るので、特別展を観終わったあとに、観たら、こちらは結構、混んでいて、要は、国立西洋美術館に来る人は、同館が所蔵する、膨大な「松方コレクション」を核とする、数々の西洋の名画を、単純に観たいんだということが、ハッキリ、その観客数の差に現れているという、皮肉な結果に・・。

私的に、観て、とても面白かったのは、すでに、以前、観たことのある作品だが、戦時中、戦争画を手掛けた藤田嗣治が、戦後に、パリに帰還するのではなく、もし、インドネシアのバリに流れ着いていたら・・という、ダジャレみたいな架空の設定での、「帰ってきたペインターF」をはじめとする、西洋主義へのアンチテーゼともいえる、一連の小沢剛作品や、同館所蔵の、自慢のロダンの彫刻を、何と、横に寝かせて展示するという、小田原のどかの、近代化の歪みを、文字通り、作品丸ごと本当に転倒!!!させてしまう試み、そして、上野の地にある同館の展示から、徹底的に排除されている、山谷で暮らす人々の日常を、ひたすら愚直に、描き続ける、弓指寛治の作品等々だ。

それに比して、梅津庸一やパープルームの作品は、圧倒的なボリュームながら、何故か、西洋美術館での展示に、違和感なく、スッカリ、溶け込んでしまっているような、そんな気も・・。

常設展示まで観たので、スッカリ、疲れてしまって、美術館のレストランで、ケーキと珈琲を頼んで、1時間以上、休憩。隣通しになった、アジアからの親子3人の観光客は、やはり、ケーキに珈琲を、1人分頼んで、それを3人で、わけあっていた。確かに、ケーキケットは千数百円円もして、高い。軽食などは、すべて、2000円近いお値段。これもまた、国立西洋美術館のまごうことなき、現実。山谷の民は、決して、入ることはできないだろうな・・と。

図録を、買った。3600円+税。ズシリと、重かった。