私の 有安杏果ものがたり | P-A-M CAFE

私の 有安杏果ものがたり

有安杏果ものがたり

 

私がももクロ(と杏果)に初めて出会ったのは2010年の春、怪盗少女のリリイベ@秋葉原石丸電気でした。そこで杏果バージョンのシングルを買って『走れ!』を聴いて衝撃が走りました。最初っから杏果だったんです。 

 

そこでの杏果は、今とおんなじでチビで元気いっぱいで飛び跳ねて、でも口下手で。まあ人見知りはこっちもそうだったけど。CD一枚では『クローバーポイント』が足らず、握手もできなかったのです。でもヲタはその時から凄かったなぁうるさ過ぎて引いた記憶があります。

 

その後、ツアーやら代々木公園ライブやらあったけど行かなかった。で、青年館も知らなかったんだけどTVでやってたまたま録画してた。変な太ったおじさん(川上さん)に抱きついて号泣したりしててさ。それを見て凄いと思った。そもそも存在を知ったのは大好きな宗像さんが書いていたメンズサイゾーの記事(2009)。未来へススメだったな。 それでYoutube探したらはるえ商店?のリリイベの動画があって、れにちゃんが号泣していた。

とにかく【やりすぎなほどに踊りまくり大抵は号泣している可愛くもない地下アイドル】って感じだったな。

 

確かその頃に、ニコニコ動画で代々木公園のライブを中継していたことがあって。帰ってきた代々木公園の猫たち、だっけ?ニコ動はコメントを眺めたり書き込んだりしながら動画を観れるのがいい。最初は何だこれ?という態度で見ていた人達がどんどん引き込まれて行き、最後には『すごいものを見た』『大好きになった』と感激していた。スタッフとしてコメントを書き込んでいたのは多分川上さん?で、当時から周りを巻き込んでイベントを回すのが上手かった。

 

あかりん脱退@サンプラザは見ていません。でも山ちゃんのラジオにゲストで出ていた時は聴いてました。次の日からの試練の七番勝負はドキドキして毎日情報をチェックしてたっけ。 

 

そしていよいよファーストアルバム『バトル アンド ロマンス(BAR)』の発売。『天手力男』にはびっくりした。え?これADFAsian Dub Foundation)じゃん⁉︎って。  でも、何より衝撃的だったのは初回限定盤に入っていた『ももクロのニッポン万歳!』おふざけ曲なのに最後杏果パートで大号泣。ふらりと立ち寄った町田のCD屋で何度も何度も聴いて泣きじゃくって気がついたらCD買ってた(実話)

 

しっかりとライブを見てガッリはまったのはBARが出た時に抽選で(なんと一口応募で!)招待された『選ばれしモノノフの集い&ボイン会』でした。横浜BLITZを借りてガッツリライブ2ステージ(私は1回目のステージに参戦。)その合間にボイン会がありました。拇印を押した署名色紙をもらいました。最後に自分の名前と拇印を押しました

 

どうしようもなく高まってしまった私は、直前にもかかわらず、あの『極楽門』に参加することに。とっくにソールドアウトしていたこのライブに参戦できたことが私の運命を変えました。ダブルアンコール(声だけ)終了後に雨が本降りになり濡れて帰ったな。満面の笑顔で。 もう【すごいものを見た!】感しかなかった。

 

男祭り@ステラボール、は行けませんでした。でもSSAのことで頭がいっぱいで実質的によみうりランドの次がSSAなんて。絶対無理だと思った。友人を誘ったほど。それがあんなことになるなんていや、素晴らしくいい意味で。 

 

ももクリ2011は、それはそれは素晴らしいもので。席は左スタンドの一番ステージ側の最前列。アリーナよりもステージに近かった。アリーナの前は数列分席が無かった(たぶん火柱が危険なため)ウチらはモロ焼かれました。マーティも最高だった。彼のモーレツ終わりからのギターソロの素晴らしさ❗️そこからなだれ込む怪盗の爆発的盛り上がり。リアルに気絶しかけました。(実話)

 

ももクリ2011に同行したM氏。二人で杏果がいい、いやれにがいいと語り合った。沢山の沢山のモノノフと出会い仲良くなった。生涯の宝です。そこでふざけて発表されたのが横浜アリーナまさかの2DAYS。信じられないことが待っていた。 

 

横アリ初日。DNA初演から始まるステージ。途中ちょっと間延びしたけど本当に素晴らしいライブだった。ゲロゲーロをはじめとするレジェンド、横森良造、加瀬邦彦、在日ファンクまでが寄ってたかって若い五人の少女に芸能界、音楽界の奥義を伝承していく。極め付けは南ピー初登場、震えました。 

 

『シングルベッドはせまいのです』や『事務所にもっと推されたい』もここ。何より『だてあり』発祥の地。本当にすごい夜だった。さあ、明日はももクリ同行のM氏と再び参戦だ!絶対に素晴らしいライブになる。実際、最高のライブになった。だが、本当に辛い日にもなった… 

 

ちょっと話が戻るけど。私が杏果と握手したのはただの一回、モーレツのリリイベでベルサールであった最後の握手会。もちろんほんの一瞬のことだったけど、シャツの下に着ていた緑のモモグラムTを見つけて『あ…^(^∇^)』って言ってくれた。もうそれだけで心がポカポカした。今もしています。

 

横アリ2日目。ももクリ2011の戦友M氏と共に入場するはずが開演10分前に彼は横アリ正面で倒れました。心臓でした。救急車を呼び蘇生を試みるも、彼は帰らぬ人となりました。後日のれにちゃんのブログを私は忘れません。だから私(と友人2人)はライブを見られませんでした。 

 

その後、×××から×××があり××××××ということに。南ピーが発表した西武ドームに参戦。出だしでいきなり泣く杏果。ペーパーなど大味になってしまったライブだったが新時代の到来でもあった。 

 

紅白。2011に肩透かし食らってるだけにそこには不安しかないひとりのモノノフがいた。目の前のボイン会の血判状wを見つめながら。初出場の知らせは、外で携帯から知った。ひとり空を見上げ、泣いた。 

 

明けて2013年。元旦からメンバーの東京バスツアー&国立宣言。画面で見てたけど震えたなぁ。ああやってメンバー、スタッフ、そしてモノノフ一丸となって道なき道を突き進むのが大好きだった。血潮が滾(たぎ)った。夏菜子将軍率いるももクロ軍有安隊の一兵卒として。 

 

ただ、ウチの隊長は人間味溢れていていろんなことがあった。喉の手術、フリップ芸、紅白をインフルで欠場なんてのも。我等杏果推しはその度に心配して、励ましあって、泣きながら応援して、復帰した時は抱き合って喜んだ。大好きだし何より尊いから。 

 

GFで泣いた時もフォーク村で歌えなかった時も、あーでもないこーでもないと話し合い語り合い、彼女の心に近づこうとした。それは時として見当違いだったけど。そうこうしているうちに和田アキ子と共演し(ありがた過ぎる評価までもらい)ドラムも写真もと才能を開花していった。 

 

こんな話はいくらでもあります。春の一大事も男祭りもももクリも。興味ある方、ぜひ私を捕まえて話してください、なんでも話しますよ。でも、もう少し書くね。 

 

やはり国立の話もしなければ。ももクリ2013の会場は真冬の西武ドーム。そのアンコールでいないはずの南ピーの映像が!ガチで驚くメンバー。その発表は改修前の国立競技場でのライブだった。『ももクロの夢はモノノフの夢さ... 』と一緒に歌えたことは私の誇りです。本気であつのりんに感謝しています。

 

国立は初日だけ申し込みました。一人でも多くの人に見てもらいたいから。初日が杏果の誕生日だからそれだけは祝いたかった。あの巨大だけど優しくて温かいスタジアムの『こころ』を忘れません。本当にあそこには魂があった。日産スタジアムとは全然違うんだよ。それが五人を祝福していました。夢のようだった。 

 

国立に出たい!という気持ちは、まだZになる前に立川のデパートの屋上でライブした時にそこを「ミニ国立競技場」と勝手に見立てて、花道作ったりリアカー引いたりしていたころにさかのぼります。そこでファンが集まって【モノノフ文化祭】を開きました。私は屋上のDJで参加。 

 

初めてこいつはスゲェ!ってなったのはももクロChanDVDのおまけ映像に入っていた杏果のバンジージャンプ。『花、咲かせてやんぞ!』といって背面から回転してバンジーした姿に震えが来たことを昨日のことのように思い出します。そしてドッキリを仕掛ける夏菜子の満面のにやけ顔。 

 

あと、なんといっても杏果は歌。「なごり雪」「飛梅」などフォーク村での名演は数知れず(他のメンバーもネ。) 大宰府に「灰ダイ」を奉納した時の高貴さなど止まらない。一人でも良いが5人で歌うと奇跡が起きる。雷雨を止め虹を呼んだ雨天力男を歌い上げる5人は正に巫女でした

 

...最近の話もたくさんあるんだけど、ちょっと生々しくなるからやめます。聴きたい人は私を捕まえてください。ビール一杯でホイホイついていくことでしょう。ソロコンの話とか、遠征の話とかね.... とにかくももクロ知ったその日から私はあなたに夢中でした。今でも。

 

ソロコンで言っていたね。『あなたの心にも音楽という栄養をあげてほしい』と。あなたは今【心に休息が必要】なんだと思う。ゆっくり休んだら、またウチらに栄養を届けてくれよな!こっちも心を休めて待ってるよ。 

 

でも生きてるうちにお願いします。おわり。

永遠の緑推し hironux(ヒロナックス)より