ももクロ一座特別公演『姫はくノ一』観てきました。
今回も千穐楽を待って感想を書きます。
一部・二部全部を見終わっての、まずの感想はモヤモヤするです。
公演の公式パンフレットには、演出の本広克行(監督)の言葉で
『いっぱい笑えてちょっぴり泣ける。そして笑顔で劇場を出る』とありました。
私の感想では、ももクロの公演は「笑い」と「アクション」が盛りだくさんだけど、「人情がないなー(もしくは少ない)」と感じた芝居でした。
明治座や帝国劇場、新宿コマ(惜しくも今は姿形も無き)、新宿厚生年金会館(やはり今は無き)などで、祖母に連れられて30年前35年前に観たわたしの経験で書きます。
「笑い」と「人情」芝居が明治座に掛かる芝居だろうと思います。
芭蕉の「おもしろうてやがて悲しき(鵜飼哉)」を変じて、「おもしろうてやがて悲しき、喜劇かな」です。
吉本新喜劇や松竹新喜劇が毎日上演されている、大阪の人ならより分かりやすいでしょう。テレビで観ている関西圏の人も何となく分かるでしょう。
わたしはアレだと思います。古くさい糠味噌のように臭うかもしれない。梅干しのように塩辛く酸っぱいかもしれない。
しかし、前半は大いに笑い、前半途中、後半から主人公の身の上や主人公の周りに迫る境遇にハラハラして、最後は「雨降って地固まる」かのように良い塩梅に治まり、「良かったね」とホロリと涙が落ちる。といったのが昔から日本人が好きな芝居の定番です。
もっと遡って、能や文楽、歌舞伎にまで振り返れば、また違った定番の脚本で演じられているのですが……。悲劇色強いとか、馬鹿馬鹿しい内容とか、回りくどいストーリーの物が定番だったりしますw
ももクロが明治座で上演した芝居は、例えるならば昔懐かしいテレビバラエティー『全員集合』のオープニングで、ドリフターズが演じていたコントです。笑いとハラハラするアクションを見せて、最後はドリフのメンバー全員で舞台上から逃げる。ももクロは逃げはしないけれど、「脇役なんてない、みんなが主役だ」とか、あや姫と桃亀藩殿との親子の仲直り、あや姫の大人の女性への成長などと、治まったように見えるクライマックスがありました。
あったけれども、アレでは泣けないです。最初、元々元気だったあや姫さまが江戸に来てから元気が無い。亡き母を思い出して日々泣いている。お付きの者も手を焼いている。父である殿にも心を開かない。その裏では田貫腹ェ門が桃亀藩乗っ取りを考えている。または自分の息子との政略結婚を考えている。あたりからストーリーを回して、最後に佐助やカナコ、シオリ、レニなどの忍者くノ一の活躍があって陰謀は防がれる、「脇役なんてない、みんなが主役だ」とあや姫さまが気づいてのクライマックスなら少しは人情劇になったかもしれないです。
しかし「あんみつ姫」+「くノ一忍法帳」では、喜劇にはなっても、
ホロリとさせる人情劇にならないでしょう。
鈴木聡さんの脚本、本広克行監督の演出も三回目になるとか。そろそろ別の方に脚本、演出をお願いしてはどうでしょう。
何でも新しいから良い訳ではないです。定番や古典を知り(身につけ)、その上で新作に挑戦する。
最近言われている、「型から入り、自分の身体に染みこませ、型から自由になる」というのを勉強してどうでしょう。
二部についても書きます。
もう少し…というかもっと盛り盛りの歌謡ショーが見たかったです。
ももクロのホールコンサートレベルのステージセットと演出。
もっとキラキラとした、いやギラギラとしたステージを期待していたのですが、ステージセットの基調は「黒」。演奏曲も少なめ。
あと二、三曲、もっともっと四、五曲くらい一気に、計10曲くらい演ってくれたなら満足、お腹いっぱいに感じたと思います。
二部も再考の余地ありです。
ももクロのコンサートであって、今までのももクロのコンサートじゃないキラキラ・ギラギラした光輝く、マツケンサンバか北島さぶちゃんかというももクロの4人がステージにいる演出がみたいです。