ルノアール日録 -6ページ目

寺山愛

新宿から阿佐ヶ谷に移動、ザムザ阿佐ヶ谷で「劇団★A・P・B-Tokyo」の『田園に死す』を観劇。

“現在”を疾走する「虚構の劇団」から一転、寺山修司愛に溢れた、正統的(と思われる)“アングラ”芝居を堪能。

一つの“型”、言わば“伝統芸能”として、こういう芝居と、こういう世界を志向する集団は在り続けて欲しいと切に願っていたりもするのだ。

筆者の好きな映画『田園に死す』を、可能な限り忠実に舞台化していて、結構観応えあり。

最後の、メンバーの自己紹介(蝋燭をつけ、何事かのポエム/格言を叫び、己の名前を叫び、蝋燭を消す)は、観ているこちらが些か気恥ずかしくなったが。

全体的に、なんていうかもっと大胆さが欲しいと感じたりも。

マメ山田の一人自由闊達な、何ともユーモラスな存在感、野口和彦のさすがの貫禄・迫力に加え、サーカスの女王様役の馬場ローア、天井桟敷の小野正子を彷彿させる踊りを魅せた七雪ニコが印象的。

鴻上尚史

日曜日、新宿の紀伊國屋ホールで「虚構の劇団」の『リアリティ・ショウ』(作・演出/鴻上尚史)を観劇。

遂にというかやっとというか今更というか、初めて観た鴻上作品。で、その想像以上の面白さに、鴻上尚史という作家を大いに見直す。

若い俳優陣の溌剌とした演技、ピチピチ感は勿論のこと、やはり作・演出・劇団主宰者としての鴻上尚史の“若さ”に唸らざるを得ない。

テレビ番組およびインターネットを媒介にして浮かび上がる、時に切実で時に残酷な人間の“欲望”のありよう。「劇団」という集団内部の人間関係、恋愛感情のすれ違い、劇中劇『ロミオとジュリエット』を用いたシェイクスピアのパロディ&“演技すること”そのものへの問い、更に性同一性“障害”やカルト教団といった今日的なトピックス……とてんこ盛りな内容を、センスいいコミカルさやダンス・シーンを交えつつ快調なテンポでエンターテインメント性豊かに描いていて、観応え十分。

尤も、ネタの盛り込み過ぎゆえか、些か消化不良気味な部分もあったのだが。

俳優では、バイセクシャル“野原”役の小沢道成、嫌われキャラ“隈川”役の三上陽永が印象的。

舞台から遠い席だったのが悔やまれる。もっと近くで、浴びるが如くに観たかった。

類人猿、鴉、蝉

昨土曜、竹中直人の芝居を観る前に、渋谷のGALLERY LE DECO 4Fで、「こゆび侍」の『飴をあげる』を観劇していた。

「柿喰う客」の『俺を縛れ!』『真説・多い日も安心』、「ひょっとこ乱舞」の『プラスチックレモン』に於ける客演ぶりを観ていて、その存在に注目していた女優、佐藤みゆきのホームグラウンドの劇団、ということが観劇の動機だったのだが、やはりホームというべきか、ここでも佐藤みゆきの存在感は際立っていた。
口跡の確かさ、鮮やかさと表情のチャーミングさ。

桟敷最前列ゆえ、首はかなり痛くなったけど、臨場感はバッチリ。

「亡骸をめぐる冒険」「飴をあげる」「うつせみ」以上、短編3話のオムニバス形式で、全体を貫いているのは、ずばり“死”。

「亡骸」では類人猿が“死”の認識によって人類になるサマ、「飴をあげる」では人間に恋してしまうも、当然越えられるわけもない“種”の壁によって当の人間に殺されてしまうカラス、「うつせみ」では死の運命を拒む“革命”を成就させた蝉たちが、逆に“退屈”に苛まれる皮肉な運命を描く。

結構さらりとポップに描きながらも、せつなさと無情さを絶妙に滲ませる「飴をあげる」「うつせみ」の2編が気に入った。