ルノアール日録 -4ページ目

2009/01/30

今日(29日)の日刊スポーツの1面、青山孝(現・孝史)の死ってのが、まじ納得いかねー。
だったら、ヒロシの死も一面で伝えろや!という思いが消えねーんだよ。フォーリーブスよりもテンブターズだろうよ、巨視的に言ったらよ!

まっ、どうでもいいけど、筆者の中では、青山某よりも、大口ヒロシの死の方が、何倍もデカいってことだ、馬鹿野郎~!

合掌

今日(27日)の日刊スポーツの芸能面で、大口広司の死を知る。

ジュリーだって還暦なのに、ヒロシはまだ58歳。早過ぎる…。もっとも、写真を見ると実年齢以上に老けてた印象が強いが(その点、高田渡と共通するものを感じる)…、やはりハンパなく波瀾万丈だったその人生が、顔面に皺として刻み込まれていたからか。

筆者の中では、間違いなく日本ロック黎明期を代表するロックスターの1人だ。記事では彼のロック歴について「ザ・テンプターズのドラマー」としか触れていなかったが、勿論PYGの初代ドラマーでもあり、更にPYG脱退後にはアラン・メリルとウォッカ・コリンズを結成。他にもスピード・グルー&シンキの2ndアルバムに参加したりと、まさに当時のロックの最先端を走っていた訳だ。

廣済堂文庫で復刊された、内田裕也の1976年の名著『俺はロッキンローラー』の中で、近田春夫が「日本のロック界は、ファッション的にイモな人が多いんだけど、例外が2人いる。1人は裕也さん、もう1人は大口ヒロシだ」というようなコメントをしていたのを、つい最近読んだばかりだったので、感慨もひとしお。

ヒロシとショーケン、解散後も芸能界に残った2人の華麗かつワイルド、浮き沈みの激しい軌跡を思うと、やっぱザ・テンプターズは掛け値なしのロックンロールバンドだったんだな、と思わずにはいられない。遂に「再結成」しなかったことも含めて。

URASUJI

24日土曜日、下北沢のザ・スズナリで「敦×杏子プロデュース」の『URASUJI・Ⅲ 寵愛-大陸編-』(作・演出/松村武)を観劇。

夙に評判を聞くこの“URASUJI”シリーズ、筆者は今回が初体験。いやもう、噂に違わぬ歌あり踊りありギャグありの痛快面白エンターテインメント舞台を存分に堪能できた。

とはいえ、筆者の記憶に強烈に刻み込まれたのは、主役と思われる必殺仕事人な“URASUJI4人衆”よりも、西太后に扮した深沢敦の存在&芸の面白さ、及びそれ以上に女忍“紅萬子”を演じた藤田記子の余りに強力なキャラ、コメディエンヌぶり、“前へ前へ”の貪欲なハジけぶり、存在感だった。藤田記子&紅萬子、サイコー!(森三中の黒沢とかぶる、と終演後に誰かが言ってたけど)

“憂国の女傑”を演じた明星真由美は、その演技・口跡の確かさ・ヴォーカルいずれも優れていて、上記とは別の意味でこちらの心を掴まれた思い。

辛亥革命前にえん(字が出ない)世凱を殺してしまうのは、如何なものか(笑)。