ルノアール日録 -8ページ目

黒猫

昨日、初台の新国立劇場・小劇場で、TBS主催の舞台『黒猫』(原作/エドガー・アラン・ポー 脚本・演出・映像/奥秀太郎)を観劇。

ざっくり言って、期待外れ。

「原作の世界」「作り手の好みの世界観」「現代の諸問題」…この3者が、それぞれ衝突しているというか乖離しているというか、互いに相殺し合っているというか…何とも中途半端な、悪い意味で奇妙な世界が現出していた。

主要キャストの力量の問題なのか、それとも演出の意図のせいなのか定かではないが、とにかく素人目には演技が古臭いというか、稚拙にしか見えず、ダメな演劇特有の違和感のみ募る。

映像作家が舞台演出に進出した第1作ということで、そのへんは当然割り引いて考えなければならないのかもしれないが、とはいえれっきとした商業演劇であり、こちらも身銭を切って観に行ってる以上、それなりのレベルは求めたいところ。

くそーっ

今日の「グッドモーニングナンバーファイブ」(澤田育子と藤田記子の新ユニット)の『アタシが書くからアンタが演りなっ!』のチケット買ってたのに……、仕事にまつわるアレコレゆえ、結局行けなかったぜちくしょ~~。

止せばいいのに平日夜のチケットを買ってたのは、明日明後日の土日の日程上やむを得ずの選択で……ま、イチかバチかだったのだけど、やっぱ無理だったか…という結果に。
今日までの諸々の事情から、職場を早退するワケにもいかず……ハァ。

静かな演劇

三軒茶屋のシアタートラムで、「ポかリン記憶舎」の『鳥のまなざし』(作・演出/明神慈)を観劇。

親友に死なれた男と、愛する人に死なれた女……大切な存在をそれぞれ喪失した男女が、自分の存在を確かめようと記憶の迷宮を彷徨う不条理劇……というふうに観たのだが、描き方が余りに“静か”過ぎたからか、いまいち面白味に欠けた感は否めない。

男と女に設定上何らかの繋がりがあるのかと思いきや、そうではなさそうなのも、あれ?という。

存在の儚さ、脆さをあらためて突きつけられた感ありなれど、所謂近代以降特有の病というか、精神の衰弱というか、逆にこれまでやり尽くされてきた題材のような印象もあり、何故これを今?という疑問も。

主要登場人物の男女2人以外の出演者が、様々な役割を入れ替わり立ち替わり、ほぼ出ずっぱりでこなす(電話の不在通知音声から通行人まで)演出はそれなりにスリリングではあるが。