ポカポカの思いつき日記

ポカポカの思いつき日記

日常生活で思いついたことや思っていることを書き残すメモに近いブログ。

 

ヤフーの記事で大学別就職率や人気ランキングが発表されているが理科系の学部・学科の学生には役に立たない気がする。

私が学生の頃の理科系の就職方法には下記のようなものがあった。

 

1.大学の就職課が会社から枠を貰いそれを学生に公開し、それら枠を超える希望があった時は成績やじゃんけん、くじ引き等で学生を選抜し各会社に学校推薦として送り出す

 

2.学校の卒業生や会社の人事の人がリクルーターとして学生を直にリクルートする

 

3.教授の顔が効く会社に学生を送り出す

 

4.一般公募で受験する

 

1は主に私学で多かった就職方法だったと思う(国公立には就職課なるものは無かった気がするため)。私の友人もこの方法で就職している。

 

2は電子や情報関係の会社が貴重な電気、機械系の学科の学生を確保するために良く行われていた。リクルーターは就職希望の学生を食事会に集めて会社の説明をするのだが、実際はそれが人事面接と同じものであった。なお私はこのような食事会に呼ばれたことが無い。

 

3は院試を落ちた学生に対して教授が行ってくれたり(私の研究室では院試を落ちた学生はこのパターンだった)、ある特定の会社と綿密な関係にある研究室で毎年その研究室の卒業生を受け入れてもらうパターンである。私が最初に就職した会社は特定の研究室と密接な関係を築いており毎年そこの研究室の卒業生を受け入れており、彼らは特別大切に扱われていた。

 

4は研究室に入っていない学生(学校によっては卒業研究が選択科目のところがある)や全く専攻と余り関係が無い会社へ就職を希望する場合で文科系と同じようなフローを踏むものである。

 

ちなみに今では当たり前のようにあるインターンシップを経由しての就職は当時全く無かった(制度としてはあったのだろうが全く機能していなかった)。

 

1から3は自分で会社を決めるというよりはその時の運によって就職先が決まる感じだったが、いきなり役員面接まで行けてそれで決まるというメリットがあり、多くの学生はこの方法で就職を決めたのが一般的ではないだろうか。

 

4は資料請求に始まり、会社説明会+人事による面接、ペーパー試験+役員面接、という面倒なプロセスが必要だった。

理科系の学生にとって意外に難関なのが人事による面接で人事が重視する学生時代に頑張ったことや人と違う体験といった質問に上手く答えられなくて落とされることが良くあった(理科系の学生は文科系の学生と違って忙しくてサークルやボランティア活動などに熱心な人が少ないため)。

 

ちなみに私は配属された研究室の教授がアメリカに住んでいた関係上、就職活動時は顔を合わせたことも無いため仕方なく4の一般公募で就職先を探して会社を決めたのであった(ただしこの会社からは教授の推薦状を要求され、9月の院試の際に一時帰国する教授を捕まえて推薦状を書いてもらった。ちなみにこの時が教授との初めての顔合わせであった)。

 

あと学科による違いも大きなものであった。

 

今も昔も大量に学生を採用するメーカーは電気・機械関係のメーカーでそれに対して化学系のメーカーは圧倒的に採用数は少ない。それに対して日本の大学の学生数は電気・機械系の学生の供給が需要より少なく逆に化学系のそれは供給が需要のそれを遥かに上回っている。なので電気・機械系の学生は各メーカーの取り合いであり、逆に化学系の学生で研究開発を希望する学生は院生以外ほとんど企業から相手にされない状況であった。それに加え化学系のメーカーは給料が安いため学部卒で就職を希望する化学系の学生は商社や銀行に就職する人が比較的多い感じがする(私の同期でも商社や銀行に就職した人がいた)。化学系の学生で将来研究開発を希望するのであれば院への進学は必須と思っておいた方が良い。

 

有吉達が夜にテレ東でやっているゲーム番組に桃太郎電鉄がたまに登場する。

 
もう30年以上前になるが画像系のLSI設計に従事していた時、隣にあった企画部に調査用として当時発売されていたゲーム機が置かれていた。
スーファミ、メガドライブ、PC-エンジンなどである。
私を含めた一部のゲーム好きが昼休みや就業後に集まり良くゲームをしたのだが、その中にあったのが桃太郎電鉄であった。
有吉達が行うゲーム番組で桃太郎電鉄を見た時に懐かしさと共にゲーム画面の変わらなさに驚いたものである。
 
当時我々がやっていたゲームで一番人気があったのはハドソンのボンバーマンであり桃太郎電鉄であった。
主にボンバーマンは昼休みに5人プレイで楽しみ、桃太郎電鉄は就業後3年から10年ぐらいの期間を3人ほどでやっていたものであった。
桃太郎電鉄に関しては一度99年マックスまでやろうということで就業後から早朝まで会社に居残ってやったこともある(途中巡回のガードマンが来たときはゲーム画面を隠し、さも仕事をしている振りをしたことも懐かしく思い出される)。
 
こんな面白いゲームを作るハドソンであるが、今から10年ほど前になるが、潰れるという報道を知って驚いたものである。
今でも思うのであるが、2次元系のゲームに関してはハドソンは強い会社だったと思うし、2次元系ゲームに関して過信があったとも思う。
プレステやセガサターンといった3Dを前面に出して来た他社に対してPC-FXという2次元最強マシンを出して来たことからもそれは伺える。
 
ただ意地悪な見方をすれば3次元に対して敷居が高かったとも言える。
3次元の取り扱いは2次元に比べて格段に難易度が上がる。
数学的な扱いにしてもそうだしソフト、ハード共に難易度や複雑が増す。
案外そういうところがハドソン凋落の原因だったのかもしれない。
 
いずれにしろ有吉達のやっているゲーム番組での桃太郎電鉄を観ていてその面白さは全然色褪せていないことは確かである。
 
 

ベンチャー企業というと大学の先生なんかが新しい技術を商品化するために日夜奮闘しているように思っていたが日本の場合そういうのは少数派みたいである。

 

大抵の場合日本のベンチャーは元は大企業のメーカーに働いていた人達がその部署の人間の多くを引き連れて独立しているというのが一般的である。

つまり独立してやることは元居た会社の仕事を回してもらい下請けとしての業務をすることである。

その業務とは定型的で手間が掛かって面倒な仕事のことで能力のあるエンジニアが最も嫌がる仕事であり、例えば回路だったら素子の数を減らしたり、ソースだったらGUIのちょい変やPythonをC#に変更するといった仕事である。特に嫌なのが最近流行のアジャイル開発とか言って毎日発注元と会議を開いて進捗を報告したりしなければいけないというのがある。

 

要はベンチャーを標榜しているが実際には普通の便利な下請けというのが多いという感じである。

こういうベンチャーはインターシップに熱心で高額な日当と待遇で学生を招き、何とか若くて優秀な人材を確保しようとする。

可哀そうなのはそれで釣られて入社したは良いが、仕事は大企業の下請けであり、大抵の場合自分より偏差値の低い大学を出て余り自分の関わっている商品の内容を理解できていない担当者を相手にするケースが多いことである。

 

日本のベンチャーは大企業をから独立した初期のメンバーには株式公開などで巨万の富を得ることが可能であるが、後から入る優秀なエンジニアには仕事内容的にも金銭的にもメリットが余りないことを知っておいた方が良い。